【イノセンス】無駄な引用知識

※これは無駄なメモ程度にしかまとまっていません

イノセンスの引用モノその他について

ちょっとだけ知っておくと何かがわかるかもしれないような知識を載せておきますね

押井守によると

「ダイアログっていうものをドラマに従属させるんじゃなくて、映画のディテールの一部にしたかったというのが動機です。 劇映画の台詞って退屈ですよね。ほとんどが説明やなりゆきで。それが嫌だった。というか、もっとやることがあるんじゃないかと。言葉それ自体をドラマのディテールにしたかった。ディテールである以上は、それなりに凝ったものでなければならないわけで。一つ一つに足を留めてもいいような陰影のある言葉。ちょっとした人物が吐く台詞も何物かであってほしい。たとえば刑事の『柿も青いうちは鴉も突つき不申候』とか。ドラマといったん切り離したときに言葉は映画のなかでディテールになる。可能であれば100%引用で成立させたかった。古典に関してはほぼそのまま引用しました。世阿弥とかね。様々なレベルで、言葉を機能させたかった」

■人体は自らゼンマイを巻く機械であり、永久運動の生きた見本である

ド・ラ・メトリ『人間機械論』

全文

人間は極めて複雑な機械である。…(中略)… 人体は自らゼンマイを巻く機械であり、永久運動の生きた見本である。全世界には種々雑多な様相化の与えられたただ一つの物質が存在するのみである。

■鏡は悟りの具ならず、迷いの具なり

斎藤緑雨

全文は

鏡を看よといふは、反省を促すの語也。されどまことに反省し得るもの、幾人ぞ。人は鏡の前に、自ら恃み、自ら負ふことありとも、遂に反省することなかるべし。鏡は悟りの具ならず、迷いの具なり。一たび見て悟らんも、二たび見、三たび見るに及びて、少しづヽ、少しづヽ、迷はされ行くなり。

■人はおおむね自分で思うほどには幸福でも不幸でもない。肝心なのは望んだり生きたりすることに飽きないことだ。

ロマン・ロラン

全文は

人は望む通りのことが出来るものではない。望む、生きる、それは別々だ。くよくよするもんじゃない。肝心な事は、望んだり生きたりすることに飽きない事だ。

■孤独に歩め…悪をなさず 求めるところは少なく…林の中の象のように

仏陀『ブッダの感興のことば』第14章「憎しみ」

原文の直前には「良き伴侶を得られない場合は孤独を貫け」という一文が入っている

作品中ではこの言葉の前に「自分は幸福だと思うか?」という質問が入っている

孤独であることが不幸だとは言えないのではないか、という意味なのではないか

■その思念の数はいかに多きかな。我これを数えんとすれどもその数は沙よりも多し

旧約聖書『詩編』139節

つまりはものすごく大量にあるということ

択捉経済特区を指したバトーの言葉「卒塔婆の群れ」のことではないか

ちなみに卒塔婆ってのはお墓にあります

墓石の横に立ててある、なんか読めない文字が書かれた板です

元々は建造物だったらしんですが

簡略化されて、板になっちゃったんですかね

バトーが卒塔婆と呼んでいるのはもちろん択捉経済特区に経ってた

あの無駄に高い建物いっぱい

説明されていた通り、外見の高さ、大きさに比べて中身が空っぽという例えなのではないか

■彼ら秋の葉のごとく群がり落ち、狂乱した混沌は吼えたけり

ミルトン『失楽園

反逆の咎ゆえに麾下の堕天使の群と共に暗黒の淵に落とされたサタンは、自分たちの代わりに作られた、楽園に住むアダムとイブを「罪」へと誘惑する。

自分たちの状況をサタンに例えてみせたのではないか

ただし直後にバトーが「だが俺たちはサタンじゃねぇぜ」と否定している

■生死去来/棚頭傀儡/一線断時/落落磊磊

世阿弥の能落書「花鏡」

全文

生死の去来するは、棚頭の傀儡たり、一線断ゆる時、落落磊磊

是は、生死に輪廻する人間の有様をたとへ也

一端死が訪れると、棚車の上の操り人形が糸が切れて崩れ落ちるように、全てが無に帰ってしまう

という意味です

キムに会いに行った辺りからのキーワードですね

■人造人間ゴーレムは額に書かれた“aemaeth”つまり“真理”の文字によって エネルギーを得ていたが、最初の文字aeを消され、“maeth”すなわち “死”を示されて土へかえった

ヤコブグリム

そのままの意味ですね

■鳥は高く天上に蔵れ、魚は深く水中に潜む

斎藤緑雨

全文

鳥は高く天上に蔵れ、魚は深く水中に潜む。鳥の声聴くべく、魚の肉啖ふべし。これを取除けたるは人の依怙也。

これから少佐を捜しに行くということでしょう

■何人か鏡を把りて、魔ならざる者ある。魔を照すにあらず、造る也。即ち鏡は、瞥見す可きものなり、熟視す可きものにあらず。

斎藤緑雨

■鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず。声あるものは幸いなり。

斎藤緑雨

全文

刀を鳥に加えて、鳥の血に悲しめども、魚に加えて魚の血に悲しまず、声あるものは幸福也。

そのままです

鳴かない魚は切っても悲しくはない

ということでしょ

ガイノイドに声を吹き込んでいたことに対する皮肉なんじゃないかな

それと

択捉に着いたときにお祭りやってましたよね

色々と言われる話なんですけど

日本人からしてみるとあれってどことなく日本っぽくて

どことなく日本っぽくないじゃないですか

あれはヨーロッパ側から見たアジアのイメージなんじゃないかな

岡山と広島理論なんじゃないかな

俺等日本に住む人間としては、いわゆるアジアと日本ではかなり差があると思っている

だけど、それってヨーロッパ側からしてみれば、どっちも一色多に混ざり合ってるように見えて居るんじゃないだろうか

それと街は「卒塔婆」と例えられてはいるけど

えらく現代的な、というかちょっと未来的な町並みじゃないですか

それに対して、行われているお祭りが「どんど焼き」レベルなんですよね

それが多分日本であることを誇張しているんですよね

えらく進んだ技術を持っている割に

日本の観光名所って京都とかでしょ

一応付け加えておくけど

作品中では、択捉は日本の一部として扱われているからね