懐かしい響き「また来世でお会いしましょう」

最近,寝たいです.単に睡眠不足だったというのもあるんですが,寝たい.

特に寝ている時間が幸せというわけでもないんだけれど,寝ていたい,そのままずっと寝ていたい.

こういうことを言い出すのは,確か高専時代の某教員……いや,たまに言っていた気がする.

それ以前は,ネトゲの(それもPotechi時代)友達が,定期的に自殺相談状態だったし,氷雨君がたまにそういう話をしていたと思う.

日本という国は年間自殺者が3万人いるらしいのだが(それでも減少傾向ではある),それは「自殺成功者」の数であって,自殺を試みて失敗する人が少しいて,さらに自殺しようかなと考えている人間を含めるとこの10倍~100倍くらいはいると考えられる.

とすると,まぁ俺の周りに3人くらいこういうことを言い出す奴がいるのは,大して不思議なことではなくて,日本国民として極めて一般的なことなのだろう.

でもまぁ,最近,こういう気持ちが非常によくわかる.

あ,別に今の研究室とか大学院とかで不具合があるわけではないですよ,とても楽しいです.

願わくばいい加減,研究室面子にスマブラで勝てるようになりたいくらいなものですね.

ちなみに今まで「明日死んでも文句はないな」と思ったこと2回くらい.

①2009年7月7日,菅野よう子 & Seatblets 超時空七夕ソニック.22世紀までこないのであれば「別にいいか」と思った.

②2009年11月18日,さよなら絶望放送初採用.もう何も言うことはあるまい.

どちらも「満足した」系の話なんですけどね.

同じく満足した系の話で言うなら,俺はラ・カンパネラ弾いたらもう死ぬかと思っていたし,去年さよなら絶望放送が終わってANNRの放送も終わったときにかなり満足した.

さて,

自殺とはいけないことなんだろうか.

いや,なんとなくしちゃいけない気がしなくもないんだけれど,どうにも理由はわからない.

損得勘定でいうなら,それも個人的損得勘定でいうなら,損だとは特に思っていないでしょう,当事者は.

なぜなら,俺の「満足した話」でもそうであるように,現状で最大利得を得ていて,この先そんな利得を得ることが考えられないのであれば,それは自殺した方が得なんだ.

少なくとも,得だと感じている面が勝っている事に関しては,残念ながら同意する.

これは社会全体を考えると少し変わる.

俺が少子高齢化社会に生きる70歳のご老体ならともかく,23歳だと少なくとも「少子高齢化」という観点からいって不利益になる(若者が減るわけだから).

社会全体的な効用を考えたときに,それ以外に何か得があるのか……わからん.

別になくていい気がしなくもないのだけれど,おそらく多少何かしらある気がする.

だからこそ少子高齢化が悲観的に言われるのでないの…….別に誰も「民族の衰退が」とか言っているわけではないでしょ.

でもね,これはあまりにも悲しいし,全然嬉しくない.

選択の自由を重視するのであれば,個人の肉体や精神の活用方法について制限をかけるべきではない.

臓器移植をリベラルの人々が支持するように,自殺においてもこれは否定材料を持たない.

それでもダメな気がするのは,おそらくもっと道徳的な話に近いのだと思う.

でもわからんのです.

自殺ってしちゃいけないんですか?

「死にたい奴は死ねばいい」という考え方は,確かに同意したい気持ちもわからなくもない(めんどくさい)のだけれど,それに同意してはいけない気がする.

全然面識のない人に対してどうこう,というのではなくて,せめて俺が会っているような,自分の身の回りの人間に対してこれを言ってはいけない.

せめてそこだけは守っておかないと,救うものがなくなる.

そこを,なにか新しいシステムを作って,運営者や社会に丸投げして自分が知らんぷりするのは,あまりにも悲しい.

大学で考えると自殺率のトップは東大という噂をきいたのだが定かではない.筑波という噂は良く聞くことですね.

なんともまぁ,人間頭がよくなると幸福なことなんてないのかもしれませんね.

うっかり桃色ガブリエルを探しに行きたい気分だ.