「オタ中国人の憂鬱」読みました。
オタク文化が広まっているのは知っていましたが、オタ中国人の集まる掲示板の意見というのは、この本で見る限りほとんど日本の掲示板と同じですね。
ちょっと情報が錯そうしたりしているのが面白いですが。
ガンダムやジャンプ系漫画の話、エヴァの話など、俺たち日本のオタク勢からすればかなり一般的な話が多かったのですが、中には「絶望した!」のように非常にマニアックな声も見られました。
こういうところに絶望が普及しているのはちょっと嬉しいですね、もうすぐ終わっちゃうけど。
さて、
親から保険証が届いた。
新しくなったらしいのだけれど、裏面に臓器移植に関する署名欄がある。
これが、Angel Beatsで主人公が死ぬ間際に署名したヤツか……なんて思っていたんだけど、それよりも親の意見に目が行った。
俺の両親によると、「どう署名してもいいけど、内容は教えなさい。そして我々に判断させた場合、臓器提供は拒否する。」らしい。
今のところ、正直な感想として、「俺はどっちでもいい、決められない」。
心停止や、脳死といったことに関して、厳密に死んでいるかどうかという議論はここでは避けるとして、自分が死んだあとのことなんて、かなりどうでもいい。
おそらく、死後俺の死体がどうなるかということを、俺自身が知ることがかなり難しい上に、生き返ることがないのであればこだわることなんて特にない。
では、これを抜きにして話すのはどうか?と思わなくもないけれど、遺族感情というのを抜きにして考えてみよう。
死後の人間の臓器が移植に使えて、臓器に関して需要があるのだとすれば、それはリソースを最大限に利用することはそれほど悪いこととは思えない。
ブラックジャックが移植できないと言っていた肺ですら移植できる(らしい)時代だ、その使えるリソースを燃やして灰にするのは適切なリソースの使い方ではない。
だが、ここには先ほど言った通り、遺族感情というやつが抜け落ちている。
自分の息子や娘が亡くなった後、その臓器を提供するときの遺族の感情は?
死因にもよるのかもしれないが、死んだ後、その体を切り刻んで臓器を取り出すということに関して、抵抗があるというのは、よくわかる。
それは死人に対して、思い入れや憐みというのがあればあるほど、その肉体を傷つけるということに抵抗が生まれる。
あと、宗教的な理由はおそらく多分に含まれる場合があるのだけれど、とりあえず俺と俺の両親に関しては、宗教的理由はおそらく一切含まれない。
また、心停止後、もしくは脳死後というのは本当に死んだ状態なのか?
つまり、生き返るという可能性は0%なのか?という問いに対しては、俺はまったくわからない。
ブラックジャックを全部読んだだけ、ブラックジャックによろしくはドラマを全部見ただけで、医学的知識なんてまったくないから、わからない。
だけど、生き返る可能性がある場合、臓器を抜き出してしまうというのはその可能性をつむぐことになる。
これに関して、遺族が抵抗があるというのは、先ほどの話にもましてよくわかる。
だから、俺の両親が臓器提供を嫌がるという気持ちは、わかる。
でも、前者の、「死後の肉体を切り刻む話」に関して言うと、俺にはまったく関係のない話である。
俺の体の話ではあるのだけれど、それに関して俺が悲しむことも喜ぶこともない。なぜなら死後なのだから。
そして、後者の生き返る可能性に関して、これも死因によるのだろうけど、そんなに高くないと思うんですね。
ブラックジャックというマンガ内では、ものすごい勢いで死んだ人間が生き返ったりして、ブラックジャック曰く「脳が無事なら」らしいのだけれど、そんなに可能性は高くないでしょう?
流石にこれは漫画の話でないの?
そして生き返るにしても、心停止以上の状態になった場合、脳に酸素が行かない時間が長くなれば、それは今まで通りに復活するという可能性はものすごく低いのではないか?
俺は、他人に関してはどうだかわからないが、自分に関して言うなら、「そこまでして生きながらえても面白くなさそう」だからあまり望まないんですね。
判断基準は、「面白くなさそう」というだけです。
そのため現時点で、俺個人的な感想としては、「別に臓器提供は構わない」ということになる。
そうすると、俺の感情としてOKであるならば、リソースを最大限に活用することは悪ではないのだから、臓器提供する方に丸を付けることになる。
ただ一つ、まだ俺の中でどうにもカタがつかないのが「遺族感情の優先度」である。
俺の感情が死後完全に無くなって、どうでもいいものとなるのであれば、その部分はまるっきり無視するべきであり、残りの関係者、つまり遺族の感情が最大限満たされる(というか不満がなくなる)状態にするのがいいのではないか、ということ。
これに関して、大小関係がわからない。
たとえば、臓器提供の需要がものすごく少なく、提供したとしても何の役にも立たないのであれば、後者の優先順位が高い。
だけれど、本当になんとなくなのだが、医療技術の発展のおかげで、需要が結構ありそうな予感がしているから、優先順位がつけ難い。
だから、「どっちでもいい、決められない」という状態に落ち着いている。
これは多分日本人だからというのとは関係ないのだと思うけど、魂というやつと肉体というやつが不可分だと考えると、臓器提供をしたくない遺族感情というのはよくわかるんですよね。
これがたとえば、攻殻機動隊、特にGhost in the Shellのように、魂と肉体というやつが別々のものとして分けられるのが当然の世界では、おそらくこの感情がほとんど意味をなさなくなる気がします。
いずれにしても、今回の話は、とりあえず両親より俺が先に死んだ場合にしか問題にならない話です。
もちろん可能性がゼロであるわけではないのですが、
そんなことよりも、まぁ親が死ぬ方が先なんでないのかな。
そして、「死んだら大水上山のてっぺんから骨を撒いてくれ」だとか「私の葬式のときは、あんな死に装束みたいなダサい恰好させないでね」みたいな適当なことを言っている人の話を、真面目に遂行しなければならないんですかね。