学校で真面目に勉強しても金はもうからない?

アルコールは結構好きなんですが、どうも最近夜にアルコールを飲むのが好きじゃない。
だからといって昼間から酔っているわけじゃなくて、そもそも飲まない。
そういえば最近は、飲み会という限られた場所でしか飲酒していない気がする。

どうも、俺はやっぱり夜型の生活をしている人間なんですね。
そうすると、こう21時~26時くらいって一番頭がいい感じに働く時間帯なんですよ。
でも、酔うとやっぱり多少なりとも思考力が落ちる。
ブログなんて書けたもんじゃない。
だから、最近あまり家で酒を飲みません。
別に毎日ブログを書かなきゃいけない使命感にかられているわけでもないんですが、書きたいことは結構あったりして、それが酔ったおかげで先延ばしになるのが、今は嬉しくない。

 

さて、


「利益誘導教育の蹉跌」(内田樹の研究室より)
http://blog.tatsuru.com/2012/05/11_1204.php

とても面白かったので読んでみるといいかもしれません、ちょっと長いですが。

学校で、「今勉強しておけば将来お金がいっぱいもらえるよ」という利益誘導で教育すれば、子供たちが報償を求めて必死になって勉強するだろう、と信じてそういう考えが広がっている。
だけど、これは文科省経産省が掲げる「グローバル人材育成」の本質に見合ってない。
なぜなら、スティーブ・ジョブズも、マーク・ザッカーバーグも、「他の方法で金もうけるから、俺勉強パス」という方法で大富豪になっている。
「やりたいこと」に達するために、しぶしぶ迂回的に「やりたくないこと」を我慢してやるようなタイプの人間は、どのような分野においても「イノベーターになる」ことはできない。
だから、ジョブスやザッカーバーグを「グローバル人材」のサクセスモデルとして示しておきながら、「『グローバル人材』になるために、先生の言うことを聞いて、学校の勉強をちゃんとやりましょう」と言ったって、それは無理なのである。

彼らを学校に引き戻そうとしたら、「学校教育の目的は金が稼げる知識や技能を習得させることではない」とはっきり告げるしかない。


というような話です。


俺たちはいつの間にか、「グローバル人材」という言葉を単に「英語ができる」に置き換えようとしている。
確かに必要なことではあるんだけど、じゃぁ「そのためにしっかり学校にいって先生の言う通りに勉強しなさい」では上手くいかない、というかニートや引きこもりを生産しているだけではないか。
そんな気がしてきます。
まぁ高学歴ニートなんて言葉が出てきている時点で、そんなことはわかっているんですよね。

学校の先生の言うことをしっかり聞いて、その通りに勉強して、多分そうすると結構な成績上位者になりますよね。
そういう人が多くいることは、学校としてはまったく問題ないし、いいことなんだと思います。
そして、それは社会としてもまったく悪いことではない。
だって、ジョブズザッカーバーグみたいな人間ばかり1億人いる国なんて、まともに機能するとはちょっと思えない。
だけれど、「グローバル人材」になろう、もしくはそれを育てようというのは、そういう人間を多少なりとも輩出しようってことなんですよね。
だから、この目標の実現のために取るべき手段として、内田樹の言っていることは、おそらくかなり良い方法なんだと思います。


ただ、学校の枠組みというのが、果たして「他の方法で金もうけるから、俺勉強パス」というような人間を引き戻す必要があるのか、それはわからないんです。
だって、基本的に学校というのは、みんなを一か所に集めて同じ土俵で何かを教えたり、以前書いたような集団行動というものを洗脳する場所なわけですよね(http://chitosedori.blog.shinobi.jp/Entry/930/)。

だとするならば、ジョブズザッカーバーグのような人間を育てることを目標にするのが、学校としてアリなのかどうかというところは、わからない。
どうも、そこは今までの学校の性質を考えれば本質的には一致しないような気がするし、内田樹の言うような、モンスターの取り扱いマニュアルを作るというのが、学校としてアリな方向なのかはわからない。
まぁ、TOEFLの点数が良い高校に補助金をあげるよりは、長期的に見ていいように思えるが。


モンスターかどうかわからないけれど、俺がいた高専というのは割かしそういう人間を集めるところではあった。
他の学科は知らないが、とりあえずうちの学科はそういう人間を多めに含んでいることが許容されている学科だったと思う。

だからこそ、ほかの科目の成績や、平均点が別段いいわけでもない(=クラスの成績上位者ではない)のに、「大規模実験で化ける」というような人材が毎年出てきたりしている。
そういう人間が、3年の応用物理に出てくる「コリオリの力」なんてものを理解していなくたって、進級規定には響くんだけど、金を稼いだりすることに関してはそんなに響かない。
そしてそれは、なんとなくの記憶では入った当初に誰かに言われたような気もする。
つまり「プログラミングだけをやる」とか「今流行っている言語を抑えて何か作れるようにする」というのは、専門学校に行けば大抵事足りる、というような話だ。
そうやって教育されたことは、今はわかっているのだと思う。
専攻科はその限りではなかった気がするけど(笑)。


だからこそ、俺の友達ですら高専生はキチガイと言うんですね。