俺は政治の話なんてしたくない

政治が悪い話にしちゃうのは嫌い。

俺に選挙権が発生したころ、親は良く「新聞も読まないしテレビも見ないし、選挙すら行かない気なのか?」と俺に説教してきました。

親は当然なんですよ。

あの世代は学生運動という黄金時代を生きた世代です。

自分たちで政治の世界を変えていく方向に、若者がみんな向いていた時代です。

そういうことをすることが、かっこいいという価値観に生きていた。

確かに俺は、新聞はほぼ天声人語しか読まないし、テレビも見ない。

でも、選挙とかそういうものにまったく興味がないのかと言われれば、そんなこともない。

むしろ、今までマスメディアとしてもてはやされてきたものを信用したくない。

それは、「マスコミが馬鹿だから」というわけでもないし、「ネットにはテレビで語られない裏側が載っている」というような陰謀論じみたことを思っているわけでもない。

そうではなくて、「お前たちにはもう日本国民を洗脳する権利はない」と言いたい。

ネットでは、はっきり言ってデマと呼ばれるような情報だって普通に流れているし、誰かがとても極端なことを言っていたりする。

でも、それはそれでとても面白いんです。

そして、面白い発言ほど、RTされたり2ちゃんねるのスレになって、まとめサイトに上げられたりする。

大量のイイネボタンが押されていたりする。

おまけに、この世界ではすべての発言は、基本的には平等です。

もちろん、フォロワーが10万人を超えるアカウントと、フォロワーが1000人しかいないアカウントでは、基本的に影響力が違います。

でも、RTという機能は、その差をかなり減らして、面白い物であれば普通に100RTされたりします。

フォロワー1000人の人間が、同じくフォロワーが1000人しかいない人たちによって100RTされたとします。

重複がナシだとするなら、1RTについて、1000人が見ることになります。

100RTだと、10万人くらいが目にします。

つまり、大差はないです。

そして、このフォロワーというやつは、リアルワールドの影響力の大きさと、ある程度無縁です。

ニートでひきこもりで、友達がゼロ人だって、1日中PCの前に向かってtwitterをやっていれば、フォロワー1000人超える人は、いまや大量にいます。

だから、テレビなんかよりもっと、ユーザーが面白いと思うものが、ユーザーの手によって俺のところに届けられます。

ニュースも含め意見というものには、絶対に価値観が入っています。

それはかなり暗黙のもの、「テレビで報道するくらいなのだから、お前の次の飲み会の予定調節なんかより年金問題の方が重要だ」というような価値観から、かなり表だって印象づく「南極の氷が何%溶けている。地球温暖化だ!環境破壊だ!なんとかしないといけない!」というようなものまで、様々な価値観が付随しています。

そういう価値観の刷り込みが、ネットの方が多種多様な価値観に基づいているので面白いんです。

そしてもっと言ってしまえば、俺たちはもう政治に期待なんてしていない。

俺たちくらいの世代ならよくわかると思うのですが、良い政治家がいたおかげで俺たちの生活が幸せだった時代ってありましたか?

いや、そもそも2000年以前の政治家って、わかるんですか?

俺は、総理大臣でいうなら小渕さん以前の人は知りません。

名前や知識として知っていたとしても、テレビや新聞で、「今この人が総理大臣なのか」と実感した覚えがない。

そして、それがコロコロと変わって、政治の方針がいろいろ変って騒がれたりしますが、基本的に俺の生活がえらく変動した記憶はない。

よくテレビに、昔の総理が出てきて、司会者などはちゃんとゲストとして迎えるので、おだてて「あのころはどうでしたか?」と聞いたついでに「今はダメですね」みたいな話に持っていく。

だけれど、俺は「いや、大差ねえよ」としか思わない。

 

だから、「政治家が悪い。はやくあいつを辞めさせろ。」という意見にはあまり賛同しない。

もうそんな次元ではなくて、「政治家なんて誰がやっても大差ないし、それほど幸せになるとも思えない。だったら日本の頭のいい人たちをそんな無駄なシステムに割いて、リソースの無駄遣いをするのはもうやめよう。」と思っている。

だからこそ、先ほど言った、「より面白い」ものに飛びついて行く。

政治のこの先の明るさなんて「どうせ大差ない」と思っているからこそ、紹介の仕方の面白さや価値観の面白さの方が重要になっている。

これが良いことだとは決して言わない。言わないが、どうしようもない。

もう俺たちは「テレビを見ているのが見識のある人間」だとか「新聞読んでないやつはダメなやつ」とはとても思えない。

これは、インターネット選挙運動解禁に向けて作られた、このサイト

http://onevoice-campaign.jp/

を見たときに考えたことです。

選挙とか民主主義というシステムは、基本的に責任を国民全員が負う仕組みになっています。

例えどんなひどいことを総理大臣が言い出しても、それは仕組みとしては国民が選び出した、ということになっています。

これについては、今の仕組みを変えて、もっと国民が直接選べるようにしようという、橋下徹のような意見もありますが。

でも、一応、国民が選び出したということになっているし、それがまったく間違っているわけではない。

だから、ネットであれ、リアルであれ、選挙をやるということは、選挙に行く有権者が自身のメリットデメリットについて把握している必要があります。

簡単に言えばマニフェストのようなものですが、それに付随して「どんな法律を作る」だとか「それによって社会がどう変わる」だとか、そういうことがわからないと、正直俺たちの生活が幸せになるのかなんてわからない。

そして、そんなことをいちいち自分たちで調べて、みんながみんな理解していなきゃいけないシステムなんて、俺は幸せだとは思えない。

このネット選挙に関して言えば、とてつもなく不便な初期のころのAmazonです。

俺は中学生のころ、まだ日本語版があったかどうか怪しいAmazonを利用しようとしたことがあります。

当時手塚治虫のアニメがとにかく見たくて、ビデオとして存在していた「ジャングル大帝」をすべて集めようと画策していました。

でも、これ売ってないし図書館にもないんです。

1965年に全52話でアニメ化されたものなのですが、えらくマイナーで、おまけにリメイクされたものが有名だったので、本当にAmazonでしか売っていませんでした。

でも、レビューもなければ商品の写真もない。そんな不安なモノ使うなと親に一括され、俺のジャングル大帝コンプリート計画は妄想に終わりました。

未だに全部見たことがないので、通して見たいんですけどね。

そんな時代のAmazon、つまり、オススメやらレビューやら、商品の写真やら説明が一切ないネットショッピング。

そんなもの、不安だしまったく便利ではないものと同じです。

高度情報化社会は情報が無限にあふれる世界ではなくて、情報の解釈が無限にあふれる世界です。

無限にあふれ出すと、それが自分にとって有用なのかどうなのか、「で?どれが面白いの?」というのをまとめる場所が有用になります。

それを、仕様だとか販売店ごとの値段の差とかをいちいち自分で調べてから買うのは、えらく面倒だ。

だからこそ価格.comAmazonが流行るんです。

これは、先日某友人とSkypeで話した時に出てきた、「若者が政治に興味がないのは語る場を適切に設けないからだ」という話と同じです。

そんなものは2ちゃんねるで語れば十分だし、今更ネット上に場所なんて提供したところで過疎るのは目に見えています。

それこそパソコン通信時代のフォーラムレベルで十分です。

そんなことより、「で?実際民主党に入れると俺らに何かいいことあるの?」っていう話を自分で調べなければならないことの方がよっぽど問題です。

一番いいことは、Amazonのオススメ商品と同じく、自分たちで調べなくとも最善の方向に政策が向いてくれることが最も望ましいのです。

俺たちが、政治のことなんて一切無関心に生きていても、それなりに意志を反映してくれるシステムが最も幸せなんです。

だから、俺は東浩紀の「一般意志2.0」の考え方は非常によくわかる。

これは俺の個人的な感想なんですけど、もし若者全体がこの方向に向いているのだとしたら、俺の親のように「選挙にもいかないのか?」と言って、全員の思考の方向を変える=無理やりにでも政治に興味を持たせる、よりも、先ほど言った「政治なんて特に意識しないけれどそれなりに意思を反映してくれる」仕組みを作る方が、まだ労力がかからないと思う。