不況だから、というのをすべての理由にしてしまうのは嫌い

少しだけ実家に帰っていました。

久しぶりに帰ると懐かしくって……と思ったけど、駅で自分の家の車の見分けがつかない程度にいろいろと忘れている。

あれ、正月には帰ったのにな。

懐かしくって、というと、どうも知り合いがいないことが寂しい。

ついこの前までは、学校に行けばアラソやら、一個下の知り合いがいたのに、そういえば卒業してしまった。

自分が卒業に関係ない年だと、あまり春に卒業を意識することはないのだけれど、これは寂しい実感だった。

もう荒川研に行っても、豆研に行っても、知ってる人はほぼいないんですね。

そういえば、去年はこの時期に高崎で飲み会やりましたね。

あの時使ったお店、なんかHPがどこにも見当たらないんだけど、どうなったんでしょうね。

さて、

そろそろ4月開始のアニメをほとんど全部見たので、感想を書きたいのだが、そういうのはもっと時間があるときにやるとして。

久しぶりに実家に帰ると、珍しくテレビを見たりする。

そうすると「新型うつ!」みたいな番組をやっていたので、いそいそと全部見たのであった。

この番組で言っていた新型うつというやつは、簡単に言えば働くときだけうつになるという話だ。

普通に働いているとうつになる、だけれど、「うつ病」ということで休みをもらうと、元気に外で遊んでいたりする、というやつらしい。

ちなみに、「新型」とつけているのは、従来考えられてきたうつ病というやつは、責任感が強く、非常に真面目なタイプがギリギリまで仕事をし、燃え尽きた状態になってうつ病になることが多かった、らしい。

つまりは、燃え尽きてうつ病になったんだから、休みがあったって友達と遊びに行くことなんかできないのが当然の状態だったわけだ。

だけれど、新型うつというやつは、どうやらそうではないらしい。

だって、休みにすると遊びに行ってしまうんだもの。

googleで「新型うつ」と検索すると知っている名前が出てきたのでやってみた、「新型うつ 香山リカ」。

http://diamond.jp/articles/-/963

まぁ予測候補に出てくるだけあって、いろいろヒットするのだけれど、関係ありそうなので上に表示されたものを読んでみると、「慢性的な失業不安がうつ予備軍を生み出す」ことが原因だと言っている。

で、実際にリストラされたり内定が取れなかったりするとうつを発病すると言っているのだけれど、本当だろうか。

だって、リストラされたり失業したり、すでにそういう状態になった人が鬱になっていても、それはそれで困ったことなのだけれど、企業の人事担当が困ることじゃない。

不況だからということを理由にすれば、失業不安があるのも当然だろうし、それは困ったことではあるのだけれど、俺が見た某テレビ番組のように、仕事をやる気は出ないんだけれど、遊びにはいけるというのがどうも理解できない。

それは、自分の職がなくなりそうな怖さ、というより、働くことの無意味さに気づいてしまって、嫌気がさしているようにも見える。

働くことが無意味だといっているんじゃない、自分の労働環境が無くなりそう、という不安から仕事ができなくなったりする、いわゆるうつの症状が出るのだろうか。

ちなみにこの症状、やはり20代や30代の、若い人に多いと聞く。

流石にこの記事だと、香山リカは精神科医なので、原因は何だろう、と考えた後になんとも対策しにくい答え、だけれど誰でも使える答えを返してくれていて、これはこれでいい。

こういってくれるだけで、失業不安を持つ人たちは、少しだけ安心できる。

ただ、そんなこと言ったって、不況なのは変わらないのだから失業不安は改善されないし、こんな形でうつになりそうな人に手を差し伸べている余裕もない、とほとんどの企業関係者が思うに違いない。

「最近の若い社員は、休日出勤したがらない。定時には帰りたいという。」

俺は何か、これに近いものを感じる。

これはおそらく、社会に生きる人間が、単一の価値観だけで生きていけないからだ。

おそらく、同じことが原因で起こっていることが、「大学を卒業した後に専門学校に入りなおす」というやつだ。

現代に生きる人間というやつは、えらくたくさんのコミュニティに所属している。

そして、そのコミュニティごとに価値観というやつが存在していて、その価値観から大きく逸脱しない自分の価値観というやつを持っている。

複数の集団と仲良くすることで、その価値観を複数使い分けて生きている。

そして、現代の若者というやつは、その自分が持っている価値観を基準とした、自分の気持ちが一番大事なのだ。

これが不況ではなかった時代は、おそらく違った。

資本主義経済社会で、高度経済成長だったころは、「個々が自己の利益を最大限とするように努力すること」が「社会全体の発展」に直結していて、大事なのは自分が持っている一つの価値観で測れる利益を最大限にする努力だった。

だから、サラリーマンは新入社員として入社したら、寮に入って、とにかく金をためて、もらう給料以上に働き、やがて給料の方が働き量より多くなり、マイホームを買ったり車を買ったり結婚したり、子供をいい大学に入れたりすることが、人間には価値ある生き方に見えた。

けれども、自分の気持ちが一番大事であって、それを形作っているのが様々な価値観だとすれば、人が一番育てたいのはその価値観である。

だから、自分は絵が上手い。

これだけで、自分のすべてを測れるほど、つまりは天才画家になれるほど素晴らしく絵が上手いわけではないのだけれど、この価値観を押しつぶして、SEなんぞになりたくない、と思うからこそ情報系の大学を卒業した後に専門学校に行ったりする。

趣味で歌ってみたり、それを他人に聞かせてえらくほめられたりした。

これだけで一発オーディションに受かるほどではないのだけれど、この価値観を押しつぶして営業とかしたくない、と思うからこそ声優学校に行って、この価値観を伸ばそうとする。

別に、SEや営業がつまらないといっているわけじゃなくて、そうやっていろんな価値観を同時に複数個持つことが普通になってきている。

だからこそ、オタクであり、ギャルゲー愛好者でありながらも、自らをリア充と名乗ることもできて、オタク友達も多数いれば、イケメンリア充ばかりの集団にも所属していたりする。

そして、そういう価値観を共通とするもの同士で集まって、群れたりする。

でも、そういう集団に規定されている価値観を真っ向から否定するものとは、戦わずに静かに退場願う。

だから「俺の考えるいいアニメとはこうだ!!!」という話は展開されていても「アニメなんぞ存在する価値もない」という人とは、言い争わずに見なかったことにする。

こうなってくると、会社というのも、自分が多数所属しているコミュニティのうちの一つでしかなく、多数ある価値観のなかの一つになってしまう。

会社での価値観っていうのは、まぁ会社によっていろいろあると思うのだけれど、基本的にだいたいどこも「これは逸脱していないだろう」というのが、利益を上げるということだ。

NPOなどではない限りは、おそらく大体これに沿っているところばかりだろう、でなければ潰れている。

そうであるならば、もしかして新型うつになる人というのは、この価値観と、「大切にしたい自分の気持ち」との間にズレがあるのではないだろうか。

自分が所属している他のコミュニティには、普通にニートの人もいれば、大企業に勤めている人もいる。

そういうところで伸びてくる価値観、そういうものの集合体で出来上がってくる自分の気持ちが、「利益を上げること」という価値観に矛盾してくるのではないだろうか。

だからこそ、(実際に人数が多いのかわからないけれど)ボランティアをやる人が多かったり、そういうものを取り上げた報道が目に付いたり、ピースボートなんてものまででてくるのではないだろうか。

俺はSZBHリスナーで、このコミュニティにはニートなんて普通にいる。

内定取れても留年したり、リストラにあったり、そもそも家から出られなかったり。

でも、そういう人に会っても、案外普通に良い人たちなんだ。

ここで出会う人たちは、多分金銭的な自由さや社会的な地位からは、見事に独立していて、単純に常連が一目置かれている。

面白いメールを送る人がすごい人に見えるし、引きこもりだってあんなメールを送ってくるんだ、楽しそうな人生だと思えてくる。

そしておそらく、そんなコミュニティなんて今や日本中どこにだってありふれていて、みんな俺のようなネット種族は、どこかしらそういったコミュニティに所属していたりするんだろう。