テレビは本当に見なくなった――ま、金ならあるし その199

みなさんさようなら。
昨日は卒業式で、追いコンで……疲れた。

卒業生へのプレゼントにさんざん悩んだのですが、かなり楽しかったので良かったことにしよう。
あんまり使えるものはなかったけど。
というか、いいものは確かに売っていて、お金がないわけでもないんだけれど、ネタとして、コンセプトとして見合ってないからということで諦めたものがかなり多い。


さて、
今日はちょっといきなり引用しますね。
先週の週刊アスキーの、一番最後のページに載っていたであろうものです。


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ま、金ならあるし その199「面白いことなんかいらない」
2012年4月3,10日合併号(2012年3月19日発売)

 テレビ、見なくなったなぁ。あんなにテレビ、好きだったのに。
  いま、僕の前にあるのは40インチ・プラズマ・ディスプレイとパナソニックのハードディスク・レコーダー、それにヤマハのオーディオシステムだ。たいし たシステムじゃないけど、やっぱりテレビ番組をめいっぱい楽しむために揃えたつもり。ところがさ、そのレコーダーに撮りたいような番組なんかほとんどな い。いちおう毎週撮ってる番組もあるけど、最初の数分見て消してしまってる。全部見るときだって、倍速で見たりしている。
  たとえば「ほこ×たて」という番組は好きなんだけど、余計な飾り立てというか時間稼ぎが多すぎる。だからHDレコーダーに撮って,見るときはCMといっしょにほとんどの時間を飛ばす。大事な部分はテロップで出るからこれでも大丈夫なんだよね。
 「お願いランキング」という深夜の帯番組は2週間に10分ぐらい面白いことがあるので、ずっと撮りためて日曜深夜に超早廻しでチェック。「あ、今週も面白いとこ、なかったな」となぜか安心して消去する。
 「アメトーク」は番組DVDの宣伝がウザいので、大半の時間を早送り。
 「美の巨人たち」やNHKの「美の壺」は大好きな番組だけど、これまた余分なドラマ部分は早送り。
  この数年間、一度もリモコンを操作せずに見終わった番組なんかない。すべての番組が多かれ少なかれ「CM飛ばす」「宣伝飛ばす」「好きじゃないアーティスト歌い出したら飛ばす」という”作業”を必要としている。
  つまり、もう僕にとってテレビ番組というのは「素材」でしかない、ということだ。。「リモコンで飛ばす」という加工無しには味わう気にもならないダメで面倒な娯楽になってしまった。
  しかも、HDレコーダーの高性能化と低価格化で、ますます「番組は撮るけど見ない」が当たり前になった。「いちおう撮ってやるか」「撮ったけど、見る値 打ちはないなぁ。だって見るためには”飛ばす”という作業が必要だから」という思考ルーチンができあがってしまったのだ。
  というわけで、僕はますますテレビを見なくなりつつある。その分、ネットにハマってるわけでもない。ニコ生やyoutube見てるわけでもない。
  なんだか、もう情報なんか欲しくないんだ。「面白いこと」なんか,無理やりに追いかけたくないんだよ。
  ずっと前に読んだマンガを再読したり、メールに返事書いたり原稿書いたり。若者の相談に乗ったり、野菜の煮物作ったり。それで充分だ。消化できないほどの情報を毎分毎秒詰め込んで、なにがあるのだろうか?
  かつてテレビを見るのに使っていた時間、1年ぐらい前までツイッターやネットを見るのに使っていた膨大な時間を、いま僕は「なんとなくダラダラと」消費している。
  周囲では徐々にGoogle+に登録してる人が増えているようだ。
  でも僕は逆を向いている。なにか楽しいことがあったら、面白い本を読んだら、知り合いにハガキでも出してみようかな、と思っている。
  万年筆、買いに行こうかなぁ。

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(ここから http://blog.freeex.jp/archives/51315463.html


俺もテレビはほぼ見ていなくて、もう撮りためるのもやめてしまった。
実家にいた頃は、それなりの大きさのテレビにHDDレコーダーだったので、それなりに撮りためては見ないで消すようなことをしていたのだけれど。
それでもかなり早い段階で「無駄だな」と思うようになってやめた。

「1時間番組を30分で見られる」なんてものが始まった時点で、かなり違和感があった。

テレビなんてものは、最初のころはカラーですらなかったのだけれど、カラーになってからも、録画というものを導入するまでは、生で見ているしかなかった。
録画をビデオテープが可能にした後でも、早送りするのはCM程度だ。

それにビデオテープはHDDのように編集や早送りの自由がきかないから、なかなかこういった「作業」をする自由度がなかった。

やがてHDDの容量が増えて、何百時間と録画できるような時代になってしまった。

テレビとはほとんど1日中放送していて、それなりにチャンネル数もある。
大量に録画できて、おまけに編集もできて、早送りも自由自在。
それどころか「ちょっとだけ遅れてしまった。でもまだ番組は放送中」という場合でも、頭から追っかけ再生なんてこともできる。

これはもう情報過多だ。
まるで2ちゃんねるという文化がまとめサイトを生み出したように、テレビも「すべてが見られる」時代になってしまったら、情報が多すぎて、「必要なところ」が実はほんの少ししかなかったことに気が付いてしまった。
「面白いものがいっぱい見られたらいいな」と思っていた俺たちは、すべてが見られるようになったら、それを見ている時間もなく、それがさして面白くないモノばかりであることに気づいてしまった。
しかも、「必要でない部分」をそのままの時間で見ることが、なんかものすごく時間の無駄のように思えてしまう。

だから、大多数のテレビ番組をチェックして、「今日はこの番組のここのところが面白かった」なんていうまとめ番組を作ったら、もしかしたら俺たちは見るかもしれない。
それもそれで、かなり馬鹿らしい話なのだけれど、でも今だって、平野綾がテレビに出ていたり、何か放送事故や面白ことが起こったりすれば、キャプチャー画像が2ちゃんねるに上がるし、YouTubeにその部分だけ出てきたりする。
もう俺にとっては、そういうレベルだけで十分だ。

 

とはいっても、さすがに俺はまだ「面白いこと」を追いかけたい気持ちは残っている。
だから、俺はまだYouTubeを見たり、ニコ生をみたり、Facebookを見たり、twitterしてたりする。