中学校で強制されることなんて、大体無意味なことばかりだ

最近、バイトに行っている話をしたと思う。

これが出版系の会社っていうかぶっちゃけ新聞社なんだけど、良いことが少しあって、寄贈の本でいらないヤツは捨てるので好きに持って行っていい。

まぁ大抵俺の好きな本はなくて、せめてなんか面白そうな新書でもおいてあればいいんだけど、そうでもない。

でも、ごくたまに読みたい奴があって、今日は宮崎駿が児童書をひたすら勧める、という新書をもらってきた。

さて、

今日は俺の理解できない世間の常識を話そう。

俺は制服というやつが死ぬほど嫌いだ。

何もここで言っているのは、「お前は制服萌えがないのか!」とかそういう話ではない。

人が着ている分には「勝手にすればいい」としか思っていない。

だけれど、自分で着るのは死ぬほど嫌いなのだ。

ちなみに、俺は制服を着ていたのは中学生だった3年間だけである。

高専という素晴らしい楽園は、「貴族主義を貫きたい」オタクを肯定すると同時に、制服を着なくていいという非常に俺にとってメリットの大きい場所だった。

だから昔から「もし普通高校に行ってたら学校辞めてた」と言うのだ。

別に制服のデザインが気に食わないとか、そういう話じゃない。

元をたどれば、それは俺がアレルギー性皮膚炎により、制服の素材を着ることができないところから始まっているのだが。

そういうところが発端だったとしても、気に食わないのはそこではなく「なんで制服を着なければならないのか」ということがまったく理解できない。

それを説明してくれる先生もいなかった。

なんでそれが必要なのかわからないのに強制されるというのが、とてつもなく嫌いだ。

これはおそらく洗脳社会なのだ。

産業革命以後、人間というのは効率よく働く必要がでてきた。

それまでの社会というのは、たとえば専業農家を見ているとよくわかるのだが、暇な時期はとことん暇なのだ。

米を作っている時期は、田植えだとか草むしりだとか水の調節だとか稲刈りだとか、そういった作業があって、それが終わった後も米として出荷できるまでにはいろいろと手間がかかる。

だけど、これが終わってしまうと割と暇だ。

二毛作で麦を作っていても、ぶっちゃけ麦っていうのはやることがそんなに多くない。

だから、冬の間は暇している。

だけど、産業革命以後の社会というのは、効率よくものを作るために、毎日きっちり工場に行って、ある一定上の生産をしていかないといけなかった。

特に、経済が発展していく社会では、毎日しっかり働く人間というのはなによりも必要となる。

そして、義務教育とはそのために設立された、体の良い洗脳機関なのである。

小学校、中学校で教わるのは、基本的には勉強、という建前になっているが、一番重要なのは集団行動だ。

朝、8時30分に学校に集まって、その仲間で16時まで机に座って人の話を聞ける。

これが、工場に行って毎日全員がきっちり働く、という目的のためにもっとも効率よく人間を育てるために作られたプログラムなのである。

だから、その理論でいけば、体育の時間に体操着を指定されるのも、制服を強制されるのも、理解できる。

そういう社会を作っておきながら、「君たちには個性がある」だとか「努力すれば夢は叶う」だとかのたまう奴らに本気で絶望したのである。

結局、俺はそういう洗脳社会に適合しているように見せかけて、まったく適合しなかった。

小学校の時に一番嫌いだったのは、運動会である。

陸上のスポーツ全般が苦手で、雪上や水中、山の中に行くと水を得た魚のように元気になる性質をしていることは、まったく関係ない。

運動することが嫌いだったのではなく、運動会で行われる、マーチングバンドというやつが死ぬほど嫌いだったのだ。

これこそまさに洗脳の現れで、小学校高学年の児童たちが決められた通りに動き、楽器を演奏させられるのである。

マーチングバンドという文化が嫌いなんじゃない、これを小学生に拒否権なく強制することが死ぬほど嫌いだった。

このイベントさえなければ小学校の運動会はもっとずっと楽しいものだったに違いない。

アレルギーということで、俺は小学校の体操着も別物だった。

中学校の制服は、これはどう言い逃れしても校長が首を縦に振らなかったので、作った。

恐ろしいほど注文を付けまくって、なんとか着られる制服を作った。

Yシャツも綿にしなければならなかったが、これは高かったのが問題なのではなく、綿のシャツっていうやつはシワになる。

そのせいで、洗濯するたびにアイロンをかけなければならないのだが、3年間、毎日アイロンをかけていたら、なんか俺のアイロンかけスキルがえらく上達した。

お陰で今では、スキー板からYシャツまで、大抵のもののアイロンかけができる。

ちなみにスキー板はホットワックスを伸ばすときにアイロンを使う。

中学校に存在する「生活指導」なんて洗脳の最たるもので、制服を強制させたらそのあとはその着方まで指導されるわけです。

「服装の乱れは心の乱れ」とかのたもうて俺を攻めたててくるのですが、とりあえずその統計を誰かがとったのか。

お陰で俺は制服を普通に着ない、いわゆる不良に近いような、っていうか昼過ぎに原付で学校に来るような人たちとかなり仲良くなった。

結果的に、中学校卒業後、えらくフリーダムな学校に入ってよかったことがありました。

それまで食べられなかったアレルギー物質は、ほぼすべて食べられるようになった。

そして、それまで血がでるほどだったアレルギーのしっしんが、全部消えた。

今や、卵を食おうと、鳥を食おうと、なんら変化はないし、チーズを食べたからって咳き込んで寝られなくなったりしない。

ただ一つ、鼻水がひどくてティッシュが手放せないことを除いて、ほぼ俺のアレルギー症状は消えた。

今でも制服は嫌いだ。

妹が高校に行っているとき「なんでお前制服着てるの?」と聞いたことがあるくらい、あれの存在には疑問を抱いている。

就職活動で「スーツでなくてもかまいません」と書いてあれば、これは俺にとっては相当うれしい。

スーツが嫌いなんじゃない、そういうものを着ていく意味があるのかが、よくわからないからうれしい。

もし、小学校でマーチングバンドについてまったく疑問を抱かずにこなし、中学の制服についてもまったく疑問もなく、「むしろスーツの方が楽」と思っているのだとしたら、それは見事に洗脳が成功しているんじゃないでしょうか。

ちなみに勘違いしないでください。

俺は制服やスーツを理由もなく強制されるのが嫌いなのであって、そういった服装自体が嫌いなのではないです。

もし仮にそういった服装によって、生産性が上がったりするのであって、そういう説明をしてくれるのであれば構わないです。

(ただ、俺に関して言うなら、中学時代の制服は苦痛でしかなく、湿疹がひどくなるだけで、生産性を低下させる最大の要因でしたよ)

だから、たとえばコスプレで制服を着るのは全然あり、っていうか推奨します。

あと、マーチングバンドについても、自分たちで演奏がやりたくってやるのは全然ありなのです。