オタクの卒業式……この涙は卒業の涙か

これはもう昔の話.

オタク・イズ・デッド」……2006年に岡田斗司夫がやった公演です.

これが,ものすごく泣けた.

もうこれは,オタク以外の人が見たら,「なにこれ」ですよ.

もしかしたら俺のことを40代くらいのおじさんかと思われるかもしれませんが,まだ20代です.

第3世代のオタクですが(というか今や大多数が第3世代だと思います),俺の中身は非常に第1世代に近いものでできていました.

この気持ちが,非常によくわかる,第1世代のオタクが言っているようなことが,まさに俺が思っているオタクだったし,おそらく俺もそう思って生きてきてしまった.

オタクの話をします.

第1世代のオタクというのは,貴族社会です.

オタクはそれぞれ好きなものがあり,アニメオタクはアニメが,SFオタクはSFが,それぞれ好きなものがありつつも,仲間意識や相互理解という幻想が存在しました.

そして,これらを好きなことに対して「これは趣味の問題だから」と思っています.

特に,一般人からは受け入れられない趣味だということを理解して,というよりは「俺たちは生まれつきオタクという貴族なので,一般人には理解されなくて当然」と思っています.

岡田斗司夫の言うオタクとは,「自分の好きなものを自分で決める」ことです.

映画けいおんを見に行って騒いだり,「俺,アニメとか見ちゃうんだよね.ちょーオタク.」って電車の中で言ってるようなヤツを見たとき,「ああ,あいつらは自分の好きなものがないんだ.だからテレビやメディアに流されて,今流行っているものを好きになろうとしているんだ.」と考えている.

もっと言ってしまえば,「一般人というのは馬鹿だから,だから自分の好きなものが自分でわからない」のだと思っている.

その代り,世間からはまったく理解されない中で「自分はこれが好き」と言い続け,変な人だと思われ続けている.

そのくらいのことができる程度に,精神力が強く,だから頭くらいは良い.

そのためこのとき岡田斗司夫は「『オタクでも馬鹿なやつっているんだ』と思った」と言っている.

第2世代のオタクというのは,宮崎事件後のオタクたち.

こいつらはエリート社会とか実力主義と言われるもの.

この人たちは自分たちが努力して頭がよくなったと考える.

頭がいいからこそ,こういう作品を理解できる.

一般人も頭さえよくなれば,こういう作品を理解できるはず,と信じ,だから「これなら君達でも見られるよ」と言いつつも,「自分たちは頭がよくなり,この作品をこのように見ることができるまでになった」と言っている.

この時代のオタクというのは,社会で批判され続けてきて,オタクの社会権を得ようとする熱血なんだ.

オタクの作品ってこんなに面白い!と社会に認められたかったエリートたち.

頭が良すぎて社会に理解されずに苦しむエリートたち.

第3世代のオタクというのは,エヴァ後のオタク達.

こいつらは生まれながらにして深夜アニメを大量に見ることができ,探そうと思えば昔のアニメも見られた.

そしてオタク文化というものが認められ始めた世代になる.

第3世代のオタクというやつは,もう第2世代までとまったく違う.

ここでは,オタクというのは個々にその作品が好きな人がいるだけで,周りとの共通意識みたいなものはない.

だから,「オタクだからこれを見てなきゃダメ」とか「オタクだからこれをしなければならない」というようなものはない.

そして,第3世代では,オタクというのは趣味の問題でもなく,社会的な問題でもない,アイデンティティなのだという.

自分がこれが好き,というのは,そういう自分のアイデンティティであって,オタクという概念に中心など存在しない.

こういうものがオタク,という定義が存在してしまったら,「この作品が好きだけど他は知らない」という自分との差異ばかりが目立ってしまって,自分がどんどんコミュニティから除外されてしまう.

だから,そういう定義を持っていない.

第3世代のオタクに中核は存在しない.

「これが好き」というものがみんな違っていて,その間に共通意識はない(例:アニメオタクとゲームオタクの間での認め合いが成立しない)が,何かが好きという漠然とした感情に「萌え」という言葉がなんとなくあっていて便利だ.

そのために「萌え」という便利な言葉を使っていたら,一般人たちから「萌え」というものが中核なのだと言われてしまって,何か違う気がしてくる.

この中で一番気持ちがわかるのが,第1世代のオタクです.

俺は,「アニメオタクである以上,新規に始まるアニメの第1話くらはすべて見るべきだ」と思っている.

同じく「アニメオタクである以上,アニメ化されて(アニメがすべて終わったら)原作をチェックするべきだ」と思っている.

そして,俺がオタクであるがゆえに,一般人たち,大学や専攻科で出会う「アニメ好き」や「オタク文化が好き」な人たちとは,何か話が合わないと思っている.

言い方を悪くすれば,そういうオタク趣味の話題を軸に俺と知り合いになってくるやつらを,馬鹿だと思っている.

そういう人たちと俺が話すと「アニメとかあんまり見ない人なの?」と言われてしまう.

そうじゃない,君たちみたいに流行ってるアニメならなんでも好きな人間じゃないんだ.

流行っていてもけいおんは面白いとは思わないし,タイバニもつまらないと思う.

だから,いまだに俺は最終回付近のTexhnolyzeが大好きなんだ.

いまだにCowboy Bebopを超えるアニメはないと思っているんだ.

これについて肯定してくれる奴は少ない.

というか,最近出会う同世代では「知らないなぁ」と言われてしまう.

相手がもしその話をする前に「俺アニメオタクだから」なんて公言していようものなら,「おまえはアニメオタクではない」ってブチ切れて帰る.

よくよく考えてほしい,俺が「萌え」という言葉を発したことがあっただろうか.

おそらく,日常生活で何かに対して「萌え」と思い,発言までしたことは一度もないと思う.

俺がアニメオタクに覚醒したのは2002年だ.

これは忘れるはずもない,あずまんが大王Witch Hunter ROBINだ.

だけど,その前の段階で,俺はジブリ美術館に5万持って行って,4万弱の複製セルを買ってくるくらい,馬鹿だった.

金があったわけじゃない,持っている金をすべてそこにしか使っていない.

その頃はものすごくジブリ映画というものが好きで,週3回以上のペースで千と千尋を見ていた.

でも,収集欲がものすごくあったわけじゃないので,ジブリグッズを2万や3万買っただけじゃまったく満ち足りなかった.

日常的に使えそうなグッズを集めても,まったく嬉しくなかった.

おそらく俺はこの時期にフィギュア嫌いというものが発症した.

スタジオジブリのグッズはそれなりに完成度も高い.

だが人間以外の生物がかなり出てきて,おまけに宮崎駿レベルに絵を動かすのが上手い男が作ったキャラだ.

立体にしたところで及びもつかないことが,よくわかってしまった.

結局そういうものを買いまくって,まったく満たされないことを確認した.

だから,俺の実家には俺が中学時代に買いためたジブリグッズが10万円分くらいある.

もしかしたら,オタクというのはこの時から始まっていたのかもしれない.

ただ,この趣味はまったく他人には理解されなかった.

特に中学時代,俺の周りにはテニスの王子様を見る人間はいても,俺と一緒に猫の恩返しを3回も劇場に見に行く奴はいなかった.

3回行くほど面白かったわけではないと思うのだが.

同じく,一緒にジブリ美術館に行く友達くらいはいたのだが,1年のうちに2回も,それも5万ももっていく奴は皆無だった.

この時から俺はクラスのやつから「オタクである」と言われた.

でも,なにを言われてもあまり気にしていなかった.

というか,そういわれることが分かったあたりから,俺はあまりアニメの話を公言しなくなった.

これがすべての始まりで,そのうちクラス内で俺と同じアニメを見るやつが一人もいなくなった.

クラス内どころか学校中探してもいなかった.

実は,当初俺に深夜アニメを勧めた男が一人いる.

あずまんが大王Witch Hunter ROBINを見始めたのはこの男が勧めてきたからだ.

しかし,2003年,中学3年になるときには,俺は新規に始まるアニメをほとんど抑えていた.

たった9か月で,この男をはるかに抜き去り,俺と同じアニメを見るやつがいなくなった.

Last Exile攻殻機動隊を見たせいで,もう話す人がいなくなった.

というか,その頃から古いアニメを同時に見返すことが義務のような気がしていた.

もっと上層にいるオタク達,エヴァ世代や第2世代第3世代のオタクの仲間に入るため,俺は古いアニメを見るしかなかった.

そうやって,アニメというものを趣味として一人で延々と見続けていたら,もうなんか理解してくれる人なんて学校にいるわけがない.

だから,2クールのアニメを1日で見るなどということは,俺にしてみれば至って普通のことなんだ.

こういうペースでアニメを見ることは昔からやってきたことだし,下手したら誰かが続けている部活なんかより長い.

俺はそうやって第1世代にかなり近い育ち方をしたから,第3世代のオタクであるけど,かなり貴族的な考え方がわかる気がする.

これは完全にわかるわけじゃないと思う.

だけれど,同じく貴族的な考え方をする,GNCT仲間のM岡というやつがいる.

俺はあいつ個人のことは別に好きでもなんでもない.

でも,あいつの言わんとすることはよくわかる.

あのオタクに関して言うなら,オタクとして好感が持てるオタクなのだ.

あれを気持ち悪いといってしまえばそうなのだが,オタクとしての共通基盤を俺と同じくしている.

だから,俺はプリキュアは見ないし,あいつの好きなアニメも大して好きではないのだけれど,あいつのオタク的な主張は理解できるし好感が持てる.

多分,これは電車男のような「オタク」という文化そのもののブームの前にオタク化した奴は,かなり第1世代や第2世代のことが理解できるのだと思う.

別に,第1世代だとか第2世代の仲間だとは言わない.

ただ,現代の第3世代後期(これは今俺が作った言葉)のオタクと明らかに違って,「オタクとはこうあるべき」というような共通意識を持っているし,相互理解の幻想は抱いているように思う.

それは第3世代前期のオタクの一部かもしれないのだが,それでもオタク文化を教授するだけ,というよりは「ただ流行っているアニメが好きなだけ」の「自称オタク」たちとは明らかに違う意識を持っている.

この動画はもう6年も前に,オタクが,オタク族という民族の文化が滅んだことを言っている.

だから,俺やM岡が掲げているオタクというものも,もう文化としては滅んでいるのかもしれない.

普段はあまり言わないようにしているのだけれど,「お前本当にオタクか?」と思うようなことは多い.

「これを見てなきゃオタクじゃない」と俺が言っていたら,それはやっぱり時代的に変なのは重々承知だ.

ただ,無意識のうちに,第3世代の俺は,この動画の最後のまとめのように「俺が好きなアニメはこれで,実は君たちも見てみたら面白いかもしれないよ?」という方向にシフトしているのかもしれない.

が,やっぱりこの動画を見ていると泣ける.