3月の恐怖

今年の声優アワードが発表されましたね.

最多得票賞神谷浩史ってなんだろうwww

そういえば最近タイガー&バニー見てます.

かなりオススメされていたので見てるんだけど,そんなにはまってないのでペースがすごく遅い.

さて,

いつの間にか3月だけど大丈夫ですか.

毎年この時期は息をするのが辛いです.

花粉症的な意味合いも多分に含みますが,なんか無駄なことに全力投球しすぎて忙しすぎて死にそうになったりします,よく.

だいたいあれですよ,卒業式の祝賀会で流す動画なんて,そんなに手をかけて作るものじゃないし,担当が一人しか割り当てられないあたり,常識的な人間は一人で作るものなんですよ.

今年は誰が作るんですか?

専攻科の動画.

あとJ科の動画.

1年経ったので話しましょう.

まず,うちの学校には卒業式のあと祝賀会というやつがあって,そこでは思い出アルバムなる謎のスライドショー(笑)を卒業生が作って上映するというイベントがありました.

ここにスライドショー(笑)ではなく,動画を流すというのが,われわれ,頭のおかしい世代の考えたことでした.

第1回,J科卒業時にこれを作ったときは,すごいスケジュールでした.

いや,そもそもスケジュールなんて組んでなかった.

最初にネタの打ち合わせをしたのが期末テスト最終日か,もしくは期末テスト期間中の金曜日だったと思う.

つまり2月の後半で,今考えればギリギリすぎる.

だから作業時間2週間もなかった気がする.

セリフのレコーディングはほぼ1日,というか,徹夜で撮り.

インタビュー交渉も宇治野さん以外直接交渉で即撮り.

これのために柳田さん送別会には行ってない.

出来上がったのは締切の前日,かなりギリだった.

そこから全員に配るようにひたすらディスクを焼いた.

というなんか恐ろしい思い出があったので,去年は相当早くから始めようとしていた.

確かに,一番最初の打ち合わせが11月の中盤だったので,始めるのは早かった.

ネタ決め……前回と違って余裕があったからこれは,結構悩めた.

でも他にどんな案があったのか全然覚えてないな.

ネタが決まったのが12月だったと思う.

それから年明けまで,なんかスケジュールは組んでいたと思うのだが,なかなか進んでいなかった気がする.

年明けて1月もそれほど動いてない気がする.

結局ギリギリになりやすい.

2月になってからインタビューする先生に連絡取ったんだけど,結局太田さんだけめんどくさいことになった.

出演拒否は,豆様を除くと初だった.

5年の時,豆様が拒否ってたけど,それはそんなに大きな問題じゃなかった.

そこはつまり,インタビューが荒川さんになるか豆様になるか,くらいの差であって,5Jとしては多分どっちでもいい.

俺らとしては豆様の方がいじりやすいだけであって.

だけど,太田さんは出てくれないと代わりがいない.

出てくれないという返事が返ってきたのが3月初頭.

その返事をもらった後数日たって,「文字だけなら書く」と言ってきて,これまた困る.

思い出アルバムは動画であって,学校だよりじゃない.

文章だけもらっても使えない.

というわけでスッパリ太田さんの出演は無かったことにした.

そのほかの先生の分は撮りためた.

ちなみに一番面白かったのが飯野さんで,一番大変だったのが豆様.

飯野さんは,カメラに向かう前まで,雑談として俺らに校長の悪口を言いまくっていたけど,録音し始めたとたん真面目に返してきた.

「そんなの言うわけないじゃない!」と言われたので,全然違う質問をしているところに回答をつなげたところ,まぁなんか面白い動画ができた.

※というわけで飯野さんのインタビューシーンはすべて虚偽です☆

質問項目に対して,あの回答をしていたわけではありません.

豆様はとにかく答えない.

質問をすると,非常に簡潔に答えるんだが,一言で終わる.

長い回答をしてほしかったので,これは結構大変だった.

そしてビデオの編集.

今回はなんといっても音響編集してくれる人が誰もいなかったので,セリフも音楽も全部自分でやった.

これはなかなかめんどくさい.

グラフィックボードはともかくサウンドカードはオンボードのままだったし,マイクもなかった.

マイクについては大野君に借りた.

脚本はかなり高ちゃんに頼った.

正直,脚本を書く才能はないと思い知った.

無理無理,あんなセリフとか思い浮かばないわ.

で,地震の後.

これが本当にしんどかったことだけはよく覚えている.

脚本が出来上がってなかったしレコーディング終わってなかったし,編集も終わってなかった.

脚本は高ちゃんにメールで送りつけて,レコーディングは家でやってもらって送ってもらって.

地震が起きたのが金曜日だということは確実に覚えている.

次の土曜日から翌週水曜日まで,俺は朝10時に起きて夜は28時に家に帰るっていう生活を基本にして,数日間は学校に泊まった.

とにかく,PCが使えないと編集ができない.

停電はあるし,建物は揺れるし,誰も来ないし!

コンテに沿って大体の流れは作ってあるんだけど,レコーディング方法としてはゲームのレコーディングに近い.

アフレコにするには,手間がかかりすぎるんだけど,プレスコにするには脚本が出来上がってなさすぎた.

だから,各セリフを個別に撮って,全部編集で合わせた.

終わったのは卒業式の前日かなぁ…….

前日の夜に研究室のPCフル稼働で50枚くらいDVDを焼いた.

馬鹿だと思うよ.

正直,地震直後の卒業式前日までそんなことをしているのはある意味頭がおかしい.

で,おかげで風邪だか花粉症だかよくわからないけど,鼻づまりで死にそうになって薬に頼って数日間生きていた.