思いもよらぬ速さで進んでいく評価型経済社会

非常に面白いニュースがこの前あったんですよね.

今日はちょっと変な話をします,評価型経済社会というものをベースに話すので,わかりにくいことが多いかもしれない.

ニュースというのはこれ,

たぶんみんな知っていることだと思う.

これがもう,見たときに思わず笑ってしまった.

だってこれ,よく考えてくださいよ.

食べログの評価を上げるために,やらせ書き込みをしてくれる業者にお金を払ったんでしょ.

別に店側はお金を得ようとしたんじゃなくて,逆に払ったんですよ.

確かに食べログの評価というのは客足に影響する世の中なので,それが後々利益という形でお金になるのかもしれない.

だから,ある意味お金を少しだけ払って,後々大きな利益を得ようとしたと考えられなくもないんだ.

だけど,果たしてもとはとれたのだろうか?

そういう話もニュースになっていたりするんだけど,これはもう投資してその見返りを得ようなんていう話じゃないんですよ.

お金を払って自分の店の評価を上げようとした,評価そのものに対してお金を払っている状態なんですよね.

俺もそれなりに頭がおかしいかもしれないけど,いきなり「世界は評価型経済に移行しつつある」なんて言われて,「ああ,そうか」って鵜呑みにしたりはしていなかったんですよ.

だけど,俺が思っているよりも,はるかに速い速度で評価型経済に移行しつつある.

インターネットというやつは,かなり昔から2ちゃんねるなんていうものもあったりして,この場合は匿名だけど,誰かが誰かに対して評価をするっていうことが,物凄く大量に行われてきた文化なんだ.

だから,食べログもそうだけど,アマゾンのレビューなんかも含めて,今,ネットの中には評価する機能があふれている.

マイナスなイメージだけではなく,たとえばFacebookを介した「いいね」なんてのもその一つだ.

俺たちが今こうして生きているネット社会というのは,こういった評価が,匿名であれなんであれ,相互に無限に繰り返されている社会なんだ.

評価型経済社会というのは,この評価が経済の主体となる社会のことだ.

つまりこの食べログのニュースと同じく,人々は金を儲けるために評価が必要になるんじゃなく,評価のないやつはいい評価を得るために金を払うしか手段がなくなる,という社会なんだ.

この評価型経済社会の真っただ中にいるもの,たぶんtwitterみたいなものはこの中に入っている.

さて,

先日,俺のTLの中で「オタクだとばれてない人向けにサブ垢を作ろう」と言っている人がいた.

話を聞いてみると,別に恥ずかしいからとかではなくて,バイト先の先輩などが相手で,「言葉遣いなどに気を使う必要がある,そしてオタク趣味は話してないので,でも大切なつながりだから」,ということだった.

個人的な意見かもしれないけど,俺はこういうtwitterも含めていろいろなネットの中で,こういう考えに至るのがあまり好きではない.

そもそもオタクな趣味に関して,まったく隠す気がないというか,決壊寸前のダムみたいなものでして,どう頑張ってふさいでもあふれ出ている状態なんですね.

そういう個人的趣味に関する意見を抜かしても,たとえばリアルとネットは分ける,みたいな考え方にあまり乗っていない.

たぶんそう考えている人って結構いると思うんですよね.

ネットで実名使わないのは,それは全然いいんですけどね.

俺も全然これ実名じゃないですよね.

そういうのは,ある方面の知り合いにわかりやすいとか,耳に残りやすいとか,理由はいろいろあるのでこうしているだけで,たとえば俺の名前が「光宙」みたいな名前なら,たぶん前面に押し出してこれで生活していくと思う.

でも,リアルとネットを分けるっていうのは,俺としてはなんか考え方が古い気がする.

確かに現実というものに対してネットは画面に表示されて見えているので,現実ではない気がする.

しかし,いまや匿名の2ちゃんねるですら,犯罪予告したら現実世界で捕まるじゃないですか.

ネットで変なことしたら,みんなに祭り上げられて,2ちゃんねる特定のプロたちによって特定されて,通報されるじゃないですか.

これは現実なんですよね.

リアルとネットがしっかり分かれていたのは,もう10年以上前の,インターネットというものが出始めだったころはそうかもしれない.

でも今や役所の手続きでさえ「続きはWebで」状態でしょ.

現実で言ったことはネットで話題にされ,ネットで言ったことは現実で逮捕されたりする.

こういう状態で,リアルとネットは分ける,っていうのはもうかなり不可能な状態に近い.

「いや,俺はネットではハンドルネームしか使ってないし,ブログでもtwitterでも特定されるようなことはつぶやいていない.Facebookもやってない.」という人もいるかもしれない.

でも,それって一見上手くネットだけを分離しているように見えて,物凄く不便じゃないですか?

ブログでもtwitterでも,いちいちつぶやくことに気を使わなきゃいけない.

そういうことに気を取られすぎて,結局大して面白いことも,思いついても書けない.

だって普通のつぶやきをしていると,結構特定するのって簡単なことなんだもん.

だからなんかあまりスマートなやり方な気がしないんです.

それだけ気を使っていても,案外あっさり特定されちゃうかもしれない.

もう,そう考えるんだったらネットという社会に入らない,というのも一つの手なんです.

だってみんな,驚くほど4square使ってるし,写真をアップするし,家に帰ったら「ただいま」ってつぶやくでしょ.

そして評価型経済社会的な側面から.

アカウントを分けたり,自分を特定させないように頑張ったり,そういうところで労力を使い,誰かと話すことに(正確にはtwitter上での評価を上げることに)労力を使っても,リターンは何も残らない.

評価型経済社会というのは評価が,経済の主体となる社会です.

twitterという場所で,誰かとの人間関係を上手くやったりして,他人からの評価を上げていても,特定されないように自分で努力していたのでは,そこで稼いだ評価は自分のところには帰ってこないんです.

結局その評価という枠組みの中にしっかり入らないと,社会自体に入らないことになってしまう.

食べログで客に評価されるのがいやだ,変なところに気を使いたくないから,といって食べログに登録しなかった店があったとしましょう.

そうしたら,食べログで店を探しているユーザーからは,見えないんです.

そもそも候補の中に入っていないんだから,名前を覚えてもらう,宣伝効果すらない.

食べログという社会の中に入らなかったため,他人に評価されなかった,おかげで新規の客が本当に少ないわけです.

だって,食べログを使わずに店を探そうという,この町を歩いている人の5割くらいがスマホ持ってて,残りが携帯,みたいな時代に,そんな人しかターゲットにできないわけです.

リアルとネットを分けたい,という考えの人は,この店のオーナーみたいなもの.

と,少なくとも,俺からはそう見えています.

サブ垢でオタク趣味がばれないように,という人も,だいたいはそんな風に見えています.

だってコミックマーケットって今3日間で50万人来るわけでしょ.

もちろん来られない人も,3日間来ている人もいるだろうし,俺みたいに同人誌という文化はそうでもないけど,アニメだけがやたら好き,みたいな人もいる.

そういうのを平均して考えると,50万なんてレベルではなくその何倍もの,コミケにはいかないけどオタク文化を教授している人,というのがいる.

そうしたら,もうオタク趣味なんてよっぽどメジャーな趣味なんですよ.

ここで「陶芸が趣味です」なんていうよりよっぽど日本ではメジャーな趣味なんですよね.

そして日本は多数派を気にするのが,小学校からの文化じゃないですか.

だから,そんなところを気にする労力より,たぶんそういうのをおおっぴろげにしたほうが仲間が増えるし,総合的に見たら自分の評価って上がると思うんですよ.

だって,オタクはオタクのこと基本的に好きですから.

コミックマーケットの後日にアップされるニュース記事と写真を見て,「ああ,きもいな」と,思うかもしれないww

でもそこに俺たちが感じるのって「俺たち」でしょ,仲間意識でしょう.

「ああ,きもいな」って思った後に「あ,俺もか」って思うじゃない.

この仲間意識って,たぶんワールドカップの時にだけ,なぜかみんなで盛り上がってサッカー見ちゃうのと同じ仲間意識ですよ.

ああ,みんな一緒に戦ってるんだな,っていう感覚を得るのは,ワールドカップもコミックマーケットも大差ないです.

でも,そんな長ったらしい説明をしたり,説教するみたいなうざったいことをせずに,「ああ,そうですか」と言って結局受け流すのがいつものパターンです.

そしてちょっとだけ,世の中にはいろんな考え方の人がいて,こういうの見てるとちょっと面白いな,と思ってこういう日記に書いたり,ノートに書いたりして楽しみます.