リア充って羨ましいですか

最近,「これだからリア充は……」というようなことをリアルに呟きたくなって,まぁそれは抑えたんですけど.

いや,ちょっと旅行の話をしていたんですよね,友達数人と.
実は俺,こういうの計画するの大好きなんだけど,人を誘うのがあんまり好きじゃないっていう大きな矛盾点を抱えている.
そんなのはどうでもよくて,車で行こうという場合,人数って結構問題になるじゃないですか.
正確に言うと,参加人数の中で車を運転してくれる人が何人いるかというのが重要な問題なんですよね.

そういう問題点をクリアするために結構いろいろ頑張って,まぁ「このメンバーで行こうか」っていうことでみんなの合意を得て決定したわけですよ.

それが,ひと月前になって,「俺,やっぱ行かないわ」と言い出す友人T.
友人T「金ないし,俺,あんまり行きたいとも思ってなかったんだよね.気軽にキャンセルとかしてもいいんでしょ?」

最初からあなたが来るとか言い出さなければ,車に乗りきらなくて運転できる人を誘ったり,人数調節する必要なんてなかったんだよ.
とは言わないけど,ここでみんな「これだからリア充は……」ですよ.
心の声が一致した瞬間ですね.


さて,これは完全に愚痴ですけど,この友人のことを今「リア充」と表現した.
確かにこいつには彼女もいるし,リアルな生活が結構忙しそうに見える.

こういうのをリア充っていうんだろうか.
みなさん,リア充って羨ましいですか?

 

俺は,あんまり羨ましくは見えない.

とりあえずリア充という言葉の話をしよう.
「リアルが充実している人」を略して「リア充」という,多分この定義についてはおおむね同意してくれることでしょう.
リアル,というのは俺が大好きな(ここ重要ね)アニメとか,ゲームとか,そういったいわゆるバーチャルに対比して言うリアルのことだ.
よく,「リア充って彼女とか彼氏がいる人」と思ってしまうかもしれないけど,別にそういうわけではない.

が,圧倒的に彼女,彼氏がいる人が,リア充かどうか,という視点で考えると有利なのは確かだ,相手の次元にも寄るが.


リアルの話はこのくらいにして,充実ってなんだろう.

ここが俺には,あまり羨ましく感じないところなんだけど.

俺たちが充実っていう言葉を耳にする場面を考えてみよう.
普段生活していて,誰かと会話している間ではあまり「充実」という言葉は使わない.

美容院とかがおそらく日常生活に組み込まれているトップレベルでどうでもいい会話のうちの一つだと思っているんだけれど,そういうところで聞かれる場合は「学校楽しい?」という場合が多い.
そしておそらく「学校充実してる?」と聞かれたら,多くの人が答えに悩む.
逆に,入学式とか卒業式とか,そこまででなくとも,始業式とか終業式とかに学校の偉い人がしゃべる場合は,頻繁に充実という言葉を聴く.
「充実した夏休みを……」なんて言葉は使い古されていてほぼ覚えてないし,そんな夏休みを送っている人は稀だと思う.
あと,「充実した学生生活を……」みたいなこともよく言われますね.
そう考えると,充実という言葉にあまりいいイメージがわかない.


充実というと,なんか「中身がいっぱい詰まっていること」とか「必要なものが備わっていること」とかいうイメージを持つ.
でもね,俺たちはそんなに中身が詰まって,「これ完璧です!」みたいな生活が送りたいわけじゃないと思うんですよ.
というか,夏休みってみんな遊んですごす,というよりだらだらと過ごしたいでしょ.
遊びと勉強の予定を交互に,夏休み全日程予定組まれて,ある意味一日も休みがないような夏休みは送りたくないでしょう.
夏休みくらい二度寝したいし,無計画に飲みたいし,1日無駄にしてあーあ,っていう気持ちを味わいたい.
結構日々過ごしている中で,現代人はいろんなものを詰め込みたがるから,充実という言葉にあこがれるきがするんだけど,何もしない時間っていうのは大事だと思うんです.
電車の中では音楽聞いて携帯眺めて,学校に行けば勉強して,裏でゲームして.
そうして癒しが足りないといってけいおんの劇場版を金払って見に行く.
そんななんか無駄に物事を詰め込んだ結果として,無気力な時間を得たくてそこに金を払う.


そうすると,なんか「充実した生活」っていうのが,そんなに楽しいものではない気がする.

リア充な生活って,なんかみんなちょっと夢みたいないいイメージを持ってるかもしれないけど,ここでバーチャルの充実した生活経験を少し言おう.

昔,某ネットゲームが非常に充実していた時期がありまして,これはこれで充実していたけど楽しかったのかどうかは怪しい.
まず,Gvにはすべて参加する.
Gvというのはゲーム内のイベントで,所属するギルド同士で城を奪い合うというゲームなんだけど,毎週日曜日と水曜日の21時から23時まである.
これには絶対に参加する.たとえ学校で期末試験が行われようとも,休んではいけない.
Gvに参加するために残りの時間は本気でテスト勉強しなければならない.
そしてGvは一応戦なので,前準備(回復剤など)と,終わった後の反省会がある.
つまり,Gvのある日は基本的に1日すべて潰れる.

そして物欲はすべてゲーム内で発散する.
これによりリアルマネー(円)をまったく使わない生活ができたのは,ちょっと嬉しいことだが大分悲しい.
ゲーム内で買い物を大量にするために,毎日きっちり労働時間がある.
これは自分で決めていたことだけど,どんな日でも1日3時間,きっちり金稼ぎは欠かさない.
金稼ぎなんて楽しいはずがない.弱いモンスターを探して倒して,それをひたすら繰り返す.
どのくらいかというと,1時間に1000体から1200体倒す.

会話も基本的にすべてゲーム内でする.
日常会話的なことからGvの話まで,基本的に入れば誰かがいて,いつも会話はしていた.
さらに,どんなに親しい友人も,ネットゲーム内で遊ぶことはあっても外で遊ぶことは控える.
お陰でネトゲ内で知り合った人とかも増えていく.
結婚することもあるし,俺の場合は子供もいた.

寝る時間は極力削減する.
学校に行く場合,朝8時くらいには起きなきゃいけない.
でも大体27時くらいまでが通常営業で,ヤバイ日は29時くらいまでやる.


さて,俺は大分充実していた感じがしたんだけど,楽しそうに見えますか?

リア充にしろ,上記みたいな場合にしろ,充実というのは異様に縛りが多い生活に見えます.
自分で決めたのなら縛りじゃないのかもしれないけど,俺たちは基本的には現実世界に生きていて,本当に電脳化が実装されるまで当分の間はこの生活を切り離せないはずなんですよ.
そうすると,ネトゲの場合に比べてもっと自分で決められない縛りが多くなる気がするんですよね.


だから,冒頭の「これだからリア充は……」と思う反面,こいつも可哀想なやつだなっていう憐みの目を向けることにします.

そして羨ましいか?と聞かれれば,別にうらやましくねーよ!と言う.
で,それが強がりに聞こえないように……

やっぱり研究室のPS3と大画面でアマガミやろうかな.