理系はYes/Noが好きなんで許してください

ちょっと前のですけど,面白そうだったので.


「理系のための途切れない会話マニュアル」
http://datascience.hatenablog.com/entry/2014/01/24/%E7%90%86%E7%B3%BB%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E9%80%94%E5%88%87%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E4%BC%9A%E8%A9%B1%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB


>理系の悪いところは,相手の質問に対して最小限の答えを,しばしばYes/Noでしか答えないことにある.

これ,別にコミュ力がないとか,口下手だとか,そんな話を差し置いて普通にあるんですよ.
なんでかというと,鍛えられるからです.
理系というか,研究的な,アカデミックな場面ではむしろ「Yes/No」で答えられる質問に対して,Yes/Noで答えられないのはアウトなんですよ.
というかそれで答えてくれない質疑応答されたら,何発表してるのかわからんし聞く気が失せる.

俺も発表し始めた頃によく言われました.
「質問が来た時,とりあえずそれがYes/Noで答えられるものならば即座に答えろ.」


で,発表を何度かしていると割とそれで潰されたりするんで,鍛えられるんですよね.
必要なのは一言で相手を納得させること,というのがだんだん刷り込まれてくる.
そうすると,なんかこのスマートさが好きになってくるんだけど,病気でしょうか.



>相手からの問いかけのできるだけ”全て”に,自分の情報を追加して返答してあげよう.くどいくらいで調度良い.

これも逆側に鍛えられてしまった典型例である.
発表予稿とか,論文とかには大抵枚数制限がある.
発表なり論文投稿なりするレベルで研究していると,それなり以上に書くことがありすぎる.
大抵の場合はオーバーするので削ることを考えなければならない.
というか,日本語的にできるだけ簡潔にわかりやすく書くことが最重要となる.

あとは,図を載せるためにTeXと戦い続け,泣く泣く一文削らなければならなかったりする.

と,日本語を短くしてわかりやすくするのは相当慣れてくるんです.
あと,自分の感情を消して客観的事実のみを書くのは,理系ならばレポート系で相当な期間と労力をかけて鍛えられます.



>とはいえ,理系の人は会話のテーマをそう多く持っているわけではない.それが会話をする上で最大の不安点だったりする.
>理系同士なら良いだろうが,普通の人は閉口する類の何かだ.

これね,でかい.
いや,相当多くテーマは持っているんだけど,偏り方も半端ないんです,ただそれだけなんです.
∂x/ ∂yをなんて読むかとか,解析力学はLagrangianまでは便利なのわかるんだけど,Hamiltonianはなにが嬉しいのかよくわからんとか,磁気単極子の存在確認されたってマジ?とか,using namspace std;は使うべきなのか,とかね.
大いに盛り上がれる!!同種族なら.




ちなみに,この記事,非常にわかりやすくて良かったです.
ぶっちゃけ,理系というのはこういうのを「メソッド」という形で格納しておくと,呼び出しから実行はできたりするんですね.
定義されていないメソッドは参照エラーになってしまうので,ダメなんです.
でもそんなもん,基本的に定義されることもないので,こういう人生になっているわけです.


っていうか一般の方々はこういうのを日常的に,無意識的にできたりするんですかね.
びっくりです.