『あの花』の劇場版はやはり泣けた

みなさんさようなら。

先日、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』の劇場版を見てきました。

これは、動員数が増えるのは納得できるし、見た人の8割が泣くのも理解できる。

相変わらず非常に上手く設計された、泣ける映画です。

一言で言うなら、追悼映画、もしくはかなり出来のいい総集編です。

なので、TV版を見ていない人が、いきなり見に行ってもあまり面白くないかもしれないし、泣けないかもしれません。

ただ、TV版を見ていた人間は、総じて見に行きたくなることでしょう。

見に行って損は無いです。

まず、総集編と言ったのはバンクがかなり多いこと。

TV版のシーンを使いまわした、回想シーンと考えていただければ問題ないです。

若干冗長で、尺のばし的な印象を受けるかもしれません。

そういう意味で、総集編です。

新作カットとの比率は半々といったところでしょうか。

ただし、かなり出来のいい総集編で、公開の時期も狙っているだろうし、話の構成も狙っている。

総集編といっても、エピローグ的な話の間に回想が挟まる形なので、見せられている感じをあまり受けない。

そして、回想部分の映像はもちろんバンクなのだが、BGMも新作カットとバンクでしっかり分けている。

厳密に言うなら、エピローグの新作カットのBGMはみんな新曲だ。

そして、追悼と言ったのは、本編に特に大きな話がないということです。

エピローグの間に回想を挟んでいる構成になっていて、本当にそれだけで終わる。

そもそもTVシリーズ終了してから2年後の夏の終わり、8月31日に公開してくる時点で、懐かしさを要求しているのが見え見えである。

おまけに、今はTV版の再放送をやっているのだから、みんな懐かしくなるのは当然だ。

そして、やることといっても、昔を思い出したり、またみんなで集まってメンマの話をしたり、御炊き上げをするだけだ。

最後には、「来年もまた集まろう」と言っていて、つまり、「来年もまた見ろよ」ということである(もう劇場版をやったりはしないだろうけどね)。

この映画は泣くためだけに計算されている。

話の作りはまったく凝っていないし、物語が動いたりもしない。

特に書きたい話があったわけではないのではないだろうか。

話自体はそんなものだが、泣くためへの演出はよく出てきて、長井龍雪もいい演出をするようになったものです。

メインの話が特に無いので、視点が固定されずに、主人公たちのそれぞれの回想という形をとっている。

ただし、メンマが生きていた頃の回想もはさんでいて(もちろん新作カット)、そこはメンマ視点である。

このエピローグ、最後を締めくくるところは予想通りだが、基本的にはメンマ視点が軸になっている。

そこだけは、TV版にない視点での話であり、劇場版では既に幽霊ですらないので、完全にいない人の思い出話になる。

そのあたりは、普通にいい話だ。

もちろん期待通りに、回想の最後にはsecret baseを流すし、あの最終回部分の回想だけ少し違っている。

そういう小細工をしてまで、最終回をもう一度見せてくる。

だから、かなり一見様お断りな内容にはなっているのだが、一度見たことのある人には非常に強力だ。

そんな内容なので、泣きに行くためには素晴らしい映画です。

TVシリーズを見ていた人は、是非泣きに行ってください。