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楽譜を販売しないという戦略はオタク向け

音楽

最近,George WinstonのLonging/Loveという曲がお気に入りだ.

『マツコ有吉の怒り新党』の後半,「新三大○○」というコーナーでお二人がトークするときのBGMとしてアレンジ版が使用されている.

好きな曲をある程度聴き続けると弾きたくなる.

というわけで,楽譜を探してみたのだけれど,これしかない.

Longing/Love

最近はIMSLPもあるし,ネットで無料の楽譜がかなり手に入るので楽ですね.

これ,確かにある程度合ってはいるんですが,ところどころ間違っている.

まぁポピュラーの楽譜なんてどれが正解といも言えないかもしれませんが…….

大きく違うのは,調が違う.

Cdurで書いてあるのだけれど,原曲はEdurだ.

他にもちょいちょい音が違うところがある.

これを脳内で変換しながら弾くのは……できなくはないのだけれどちょっと難がある.

多分今はできていても,このまま保存しておいたら後々戸惑うだろう.

というわけで,これだけヒントがあればまぁ問題ないだろうと思い,修正して自分で楽譜を書き直した.

アナログだなーと思いつつもいまだに楽譜は手書き.

音も簡単だし初見でも弾きやすい.

こういうことをしたくなる曲で,菅野よう子ほど難関なヤツはいないのだけれど,それに比べれば全然楽.

作曲者のGeorge Winstonは「楽譜を一切販売しない」という主義であったらしい(最近はちょろっと販売されたらしいが).

そういう作曲者の主義というのは,支持するわけではないし,好きにすればいいと思う.

なんでこういう主義を貫きたがるのか,なんとなく気持ちはわかる.

だけど,楽譜を出版しないというのは,考え方がオタクちっくで普通の人はなかなかついてこない気がする.

多分,音楽業界的にも楽譜の出版というのは大した利益にならない(クラシックは別かもしれないが).

だから,楽譜を出版するというのは「曲の解釈についてどれだけ自分が語りたいか」くらいの意味しかない,少なくとも作曲家にとって.

だけど,楽譜を出したらその解釈は「かなり正解に近いもの」になってしまう.

あと,素人でもマネするのが簡単になる.

楽譜を出版しないというのは,そういう考え方を嫌ってのことではないだろうか.

楽譜に書いてある音の通りに弾けばいい,と思われるのを嫌がったり,作曲家自身の解釈をあまり入れたくないから楽譜を出さないのではないだろうか.

しかし,そうすることで,普通の人は弾けない.

少なくとも,音を聞いて楽譜を起こせない人たちは弾けなくなる.

もしかしたらこんなことを考えているわけではないのかもしれないけれど,結果的に「自分の好きな曲の音くらい自分で取る」という変な人たちだけが弾くことになる.

「楽譜がなくたって音を取って弾きたい」と思う,オタクちっくな人たちしか弾かないことになる.

自分以外に弾かれるのがイヤという人は……まぁ多分ほとんどいないと思うのだけれど,それでも音源を発売した時点で止めようがない.

結果として,それは全員がレベルの高い二次創作になるので,そこでできたものはすべて作曲者の意図通りなのかもしれないけれど,えらくハードなフィルタリングをしている気もする.

そこは……どうなんだろうか.

普通のボーカルありの歌でいうなら,CDを販売したうえで,カラオケ配信するかどうか,みたいな選択だ.

アニメで言うなら,絵コンテを販売するかどうかみたいな選択だろう(こっちの方が販売されても再現するためのハードルが高すぎるけど).

そう例えると,そんなエリート主義で大丈夫なのかと心配になる.

二次創作って最低限のハードル自体を下げた方が,裾野が広くなるから上の方のクオリティが上がる気がするんですよね.

もちろんそれによって,作曲者の解釈をまるっきりコピーして弾く人も大量に現れるだろうけれど,それでもいないよりはマシなんじゃない?

まぁ,多分普通にやろうと思えばみんなできると思うので,.mp3ファイルをスロー再生するプログラムとかを駆使してやってみるといいかもしれません.

ただ,えらく時間がかかるし(手書きだとなおさら),「好き」の度合いが足らないと耐えられません.

そこは,無理そうなら,好き=才能なので諦めて楽譜買うか,発売されるまで首を長くして待っていてください.

(いろいろ言いながら自分では公開しない