ニコ生岡田斗司夫ゼミ8月号を見ました.
道徳の話で盛り上がったのは,原発の話でしょうか.
というか,一番悩みましたよね.
というわけで,これは道徳的な回答ではなく,後日談として出てきた「合理的な回答」.
そうか、僕はいまのこの国には「市民活動」は似合わないと考えてるんだ。
僕たち日本人は「賢い消費者」としての訓練を数十年積んじゃったんだよね。 「市民」じゃなくて。
だから再稼働反対デモは市民運動ではなく、「消費者がメーカーに抗議している」というようにしか見えなかったんだ。
再稼働反対デモと、盛岡をはじめとする日本各地の震災ガレキ受け入れ反対運動とは、ある種のメンタリティを共有している。
それは「消費者マインドで動いている」ということだと思う。
それって「主権者である市民が、統治を代行させている行政に対してクレームつけている」じゃないんだよ。
つまり「市民運動」じゃない。
消費者のクレームで、調査機関などが乗り出すのを進める。こういう消費者マインドの運動だと僕には見えてしまう。
僕が思う「正しい市民活動」だったら、たとえば原発を管理するNPOを作って寄付を募り、その金で東電を買い取って、廃炉なり停止なりに向けて「自分たちで」進める、という手を打つよ。
だって政府や東電が信じられないんだから、彼らから原発を奪って「市民による自己管理」が落としどころじゃないの?
こういう活動だったら、僕も支援するし寄付もすると思う。
でも、自分たちで「信じられない」「間違っている」と突き上げているはずの政府や東電相手に「俺たちの声を聞け」「悔い改めて行動せよ」と要求するのは矛盾してるよなぁ。
だから僕は、再稼働反対デモには参加しなかった。
さて,
道徳の話をすっ飛ばして「おおかみこどもの雨と雪」のところにまで話が及んでいたのでその話をしましょう.
「キャラの薄さ」というものは以前から話をしていたと思うけど,これに近い話でした.
確かに,「おおかみこども」はいい映画です.
いや,なんとなく俺はこれを「いい映画だ」と言わなければいけない気がしてしまう.
そういう類の無言の強制力を感じてしまうのは,解釈の幅をゆるさない泣き所の作り方なのでしょう.
前にも言った通り,俺がこの映画を他人に進めるときにどのくらいの本気で「面白かった」と言えるかというと,30%が限度ですよ.そこは変わりません.
でも,「これはつまらない映画なのでみなさん見に行かなくていいです.」とはとても言えない.
ニコ生で話していたことは,
おおかみこどもという映画は,安心して泣ける映画.主人公は物語中ではずっと被害者の側であり,加害者になることは一切ない.だから安心して主人公たちに対して泣くことができる.夫が死んだあとで一人で子育てしたり,田舎に逃げるように引っ越したり,雨が独り立ちしていったり,そういう泣くべきパーツが泣くべきところに入っていて,キャラクターにブレがない.キャラクターは,その泣くべきところを演じている役者みたいなもので,そのキャラクターにはその機能しかない.
というような話だった気がします,憶えている限りでは.
つまりは大衆芸能であって,ちょっと薄っぺらすぎやしませんか?細田監督,ということです.
テーマにしていることも悪くはないし,安易に萌えに走ったりするわけでもなく,絵はリアルに動かしたがるからなかなか言えないけど,薄っぺらすぎやしませんか?
多分,賛否両論あって,「安心して泣けること」を絶賛している人と,「んー?これそんなに好きじゃないなぁ」と思っている人が大量にいるから,この話が出るたびに「こういう感想が出てくるのが気になるから見に行く」という人が一定数いる気がします.
俺は,水戸黄門とかダメなタイプなんですよね.
俺の友達にM岡というやつがいて,こいつがアニメオタクでプリキュアを愛して止まないんだけど,昔から俺とは意見対立があって,「王道は好きか」というところで毎回意見が食い違う.
俺は「王道」っぽいアニメをとことん見ないで生きてきて,正直,苦手なんですよね.
「はい,ここで泣いてください」みたいなのはすごく苦手.
でも,M岡は王道のアニメが物凄く好きで,俺と同じアニメを見ているタイミングもあるんだけど,盛り上がってるところが全然違う.
M岡が喜ぶ変身シーンを,俺ははっきりって飛ばしたくなる(笑).
だから,押井守には,人気が出なくても一向に構わないから(申し訳ない)小難しい映画を作り続けてほしい.エンターテイメントよりの映画なんてつくらずに,俺の精神が正常に保てるように,変な映画を作り続けてほしい.
そして,細田守の映画では,サマーウォーズくらいが,俺としてもエンターテイメントとして楽しめるいい感じのラインであって,ここまできっちり泣き所をあてはめられるとダメなのだと感じます.