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1日くらいなら忙しさに任せればどうということはない!

最後にネットを絶ったのはいつですか?というキャッチフレーズではじめられたラマダン。

何かそれほど変化があったようには思えないのは、まだ1日だからでしょうか。

最後にネットのない生活をしたのは?

1日2日のレベルでいいのであれば、今年の1月ですね。

スキーには非常によく行くのですが、泊りで行く場合は確実にネットは使えませんし、使いません。

頑張って携帯に頼るという方法もあるのですが。

知っていますか、寒いところに行くと携帯電話の電池残量というのは恐ろしい勢いで減っていきます。

ただでさえ友達と連絡を取る必要があるし、本当に最悪の場合は遭難だって起こりうるので、そんな娯楽に電池残量を使うようなことはできないのです。

え?夜になれば宿にいるんだから使えるだろうって?

甘いですね、泊りでスキーに行ってナイターをやらないのは、寿司屋に行って魚介類を食べないのと同じです。

その前となると、去年の8月でしょうか。

これまた山にもよくいくのですが、去年は確か白神山地まで遠出したので、おおよそ5日間ネットというかほぼすべての電子機器に触れない生活をしました。

この場合は充電することもできないので、携帯電話の電源すら入れません。

そんな形で、自発的に文明的な環境から旅立つことはあるんですが、文明的な環境に身を置きつつネットだけをやらないというのは、ほぼないですね。

引っ越した時に、うっかりネットの契約をしておくのを忘れて自宅に居ながらネット難民をしたくらいなものです。

何をしていたかというと、さびしくなって学校に来ました。

最初のうちはそれこそ、普段聞かないけどCDはある、みたいなものを聞きあさったり、あんまり見ないアニメを見るかと思ったんだけど。

実はそんなに余裕があるわけもなく、学校に来なければならないし、家にいても寂しいだけなので学校に来ました。

学校に来ても誰もいなかったけどな!

日が昇る前には帰ろうと思います。

いきなり、「ネットラマダン」と聞いて、「そんなことできるのか?」と思います。

まだできるレベルだけれど、たとえばメールを見られないという業務的な問題だけではなくて、twitterができないだけでかなりつまらないし、仲間外れ感が増している気がする。

電車の中で、隣に座った人がノートPC広げてデジモンを見ているだけで、「ああ、つぶやきたい」と思ってしまう。

ちょっとコーヒー入れた間にも、「ああ、ネットラジオが聞きたい」と思ってしまう。

いったい俺がtwitterから24時間離れている間に、仲の良い友達のたにさんはどんな「阿澄佳奈」の話をしているのか、いったい今週の絶望先生はどうなってしまっているのか、非常に気になります。

というように、友達との会話だとか、友達が話題にしていることを、大部分ネットに依存していて、それをこちら側から一方的に拒否するというのは、引きこもりみたいなものですね。

きっと、ネットやメールというものが今のように発展していたり認知度がなかった時代、引きこもりを心配する親は、今の俺のような寂しさを子供が味わうのではないかと心配していたんじゃないですかね。