キャラクターコメンタリーは同人誌のようなもの

「裏音声から聞いているロリコンはいないでしょうね」という文句で始まった、偽物語第1巻副音声を見た。

一粒で二度おいしい、裏音声なんてものまでつけて、一ユーザー視点からすると、実に美味しい話なのだが、一方で「こうまでして特典をつけるのか」と憤りを感じたりもするのです。

基本的にDVDやBDで利益を回収する今のアニメ製作方式では、円盤が売れないと話にならない。

いくら頑張ってでかいテレビを買って、深夜に起きていて見たところで、それは視聴率にすら貢献しない。

つまり、CMの枠の値段の判断基準にすらなっていない。

それどころか、テレビ放映で出資される広告費では、到底賄いきれない。

だから、できるだけ多くの人に買ってもらえるようにと、本編以外に様々な特典がついていたりするのが昨今のアニメ業界だ。

これを、できるだけ特典を抑えて本編のみで価格を最低限にして販売する、という方法もあるのだが、やはりそれほど効果があるとは言えないようである。

にしても副音声に、裏音声だ。

絵が本編とまったく同じものを使っている以上、実はそこにアニメーション製作費はかからない。

必要になるのは、副音声分の脚本と、声優2人のギャラ、諸経費のみであるからだ。

おそらく、これはえらく安上がりなものだ。

セリフがどれだけあったところで、声優のギャラというのは時間給でもなければ歩合給でもない。

単純に、それぞれの声優にランクがついていて、この人はいくら、というのが決まっている。

それはセリフが一言であっても、1話全て喋っていても変わらない。

だから、ここにはそんなにすごいお金はかからないのだ。

むしろ、副音声は2人で担当しているのだから、本編のアフレコよりもよっぽど安い。

そう考えれば、素人目にも、これが本当に人気取りの特典であることがよくわかる。

物語シリーズがラジオをやらないのは、おそらくこの形が一番利益率が高いと考えたからだろう。

そして、おそらく普通のDVDよりは売れている。

ラジオというやつは、本編が好きというよりも、もう少しずれたマニアックさに訴えるものだ。

声優が好きだったり、行間を読みたがったり、裏話が聞きたかったり、そういった、本編を楽しむだけでは満足できない、追加の幸せを得たい人が好む形だ。

なにしろ、音声のみな上に、ラジオの構成作家というのは基本的にアニメの脚本とは無縁であるし、声優にしたってキャラを作って話しているわけではないのだから。

そういうマニアックな要望と、普通にアニメを見ていて楽しむ人の、間を上手く取ったのがこのキャラクターコメンタリーだと思われる。

元来、オーディオコメンタリーが本編に付随してDVD、という形はよくあった。

だけれど、それは本当に監督や演出家が出てきて、制作裏話をするだけなのだ。

これは、アニメーションを作ることにものすごく興味がある人間からすれば嬉しいのだけれど、ほかの人間からしてみれば、決して面白い話をしているようには見えない。

台本もなければ、話している連中は絵を描いたり文章を書いたりすることはできても、しゃべることに関しては素人なのだから。

そして、近年ものすごく多くなっているアニラジという文化は、これはこれで声優という作り手側の裏話を延々聞けるだけなのだ。

だから、その声優のファンであったり、もしくは声優というお仕事に興味がある人間が聞けばそれなりに面白いのだが、やはりそうではない人間からしてみれば、それほど面白い話をしているわけではない。

なにしろ、声を当てるところでしか関わりがないので、裏話といってもアフレコ裏話しかなく、そのほかはほぼ個人的な雑談に近くなってしまう。

だから、コーナーなんてものを設けて、少しでも作品に近づけようとしていたりする。

これらに対して、キャラクターコメンタリーというのは一味違った面白さがある。

キャラクターコメンタリーという言葉は、おそらくまだあまり一般的でないので説明しよう。

コメンタリーであるから、本編とは別に誰かがおしゃべりするのである。

オーディオコメンタリーと違うのは、喋っているのがすべて声優という点だ。

そして、ラジオとも違うのが、声優は台本に沿って本編中に登場するキャラクターとして喋るのだ。

つまり、本編に登場しているキャラが、自分たちが登場しているアニメをテレビで見ながらおしゃべりしている、という体でコメントしているのがキャラクターコメンタリーなのだ。

上記2つと違って、キャラクターコメンタリーはより物語に近い形で、一つの物語として見ることができる。

ということはどうだろう、これは公式の同人誌のようなものではないのだろうか?

だって、本編として完成した物語、そこにいるキャラクターだけを切り出してきて、「こいつならこのシーンを見ているときにこんな反応をするだろう」という予測で新たな脚本を作り上げる。

これって、まったく同人誌ではないか。

同人誌といういい方も少し変なのかもしれないが、作り方として2次創作に非常に近い形となっていることはわかるだろう。

特に物語シリーズのように、原作が小説として存在していて、それのアニメ化となると、かなりわかりやすい構図だ。

なにしろ、キャラクターコメンタリーのやりとりというのは、原作には絶対存在しないものなのだから。

いわば、アニメ制作陣が作る、二次創作のようなものだ。

これに対して、上記のようなオーディオコメンタリーやアニラジというのは、いわば原作の資料本やインタビューのようなものだ。

設定資料集や原画集、また雑誌などで取り上げるインタビューのようなものだ。

直観的にだが、そう考えるとキャラクターコメンタリーだけが、ほかのオーディオコメンタリーやラジオと違って、「なんか異様に面白い」のがよくわかる。

二次創作であるから、そこには実際に使用されたデータや、本当の裏話が載っている必要はない。

むしろ、絶対になかったであろう話の方が面白いとすら感じてしまう。

それは、創作物なのだから当然で、おまけにそこには新しい脚本が作られ、物語がまた一つできているのだから。

そして、それらは、キャラクターの土台の上に乗った偏見であってまったく構わない。

本編を大きく逸脱していなかったとしても、本編では言わないようなセリフを普通に言っていたりする。

それは単に「新たな一面を見た」という話にとどまらず、キャラクターという立場から見た偏見を多分に含んでいるからこそ面白い。

まるでプロが小遣い稼ぎにやる同人誌みたいだ。