人はおおむね自分で思うほどに幸福でも不幸でもない

多分どこの学校でも、それほど差はないと思うんだけど、以前、「受験を控える学生たちに、受験を終えた学生が話をする」っていうやつがあったと思う。

俺たちの学校でいうなら、4年生のときに、一個上の受験を終えた先輩が話をしたり、もしくは専攻科で行き先が決まった学生が話をしたりしていたと思う。

で、大抵そういうことを話すのは頭のいいやつだったと思う。

俺のクラスで言うなら、小熊とか本岡が話をしたのだと思う。

俺が話を聞く立場のときは……誰が話したのかまったく覚えていないし、そもそもそんな話を聞いた覚えがない。

ということは、おそらくサボったか、開始5分以内に眠りについたかのどちらかだろう。

もしかしたら、「ものすごくためになった」という人もいるのかもしれないんだけど、どうも俺はこれが役に立つとは思えない。

そんな、「東大に合格しました」とか「すんなり推薦で専攻科に入って、なんの苦労もなく東工大に入りました」っていうような奴の話よりも、大学編入を9個くらい受けて全部落ちて、大先生から「高専新記録だ」と揶揄されていた白石の話の方が、よっぽど面白いと思うし、受験生の不安に対して役に立つ話になると思う。

少なくとも記憶には残るだろう。

役に立つかは、人それぞれなのかもしれないけれど、「現在クラスで最下位なんだけど、どうやったら東大に入れるか」っていう話をするならともかく「常にクラスで1番でした」っていうやつが東大入った話って、本当に40人クラスのうち1人か2人にしか参考にならないでしょう。

そんなの俺が覚えてないのは当然で、おそらく4年の時であれば、そんな冒頭から役に立たないオーラが出ている話なんかより、その週のGvの作戦の方がよっぽど大事だったよ。

だって、俺はクラスで1番なんて取ったこともないし、東大にも縁がない。

普通にクラス内で中途半端な順位で、どこへ行くともわからない状態で、「クラスの上の方にいるとこんなところに行けます」なんて話を聞いても何の役にも立たない。

むしろ、その頃のGvというのは参加人数は非常に多くて、うちのギルドもかなり人数がいたので、参加すれば友達と遊べた。

そうやって友達を作っている方がよっぽど俺にとってはプラスになるし、なにより楽しいじゃない。

正確に記憶はしていないのだけれど、おそらく大先生にいろいろ言われていた白石は、そんなに成績が悪かったわけじゃないと思うんだ。

別にクラスで最下位をキープしていたわけじゃないと思う。

だから、40人クラスであれば、半分以上の学生に当てはまりそうな条件で、おまけに「こうやれば成功します」じゃなくて「こうやったら失敗した」っていう話が聞けるわけでしょ。

「こうやれば成功します」っていうのは、その話とどれだけ自分がずれているかが気になるのに、どれだけずれていればダメなのかはわからない話にしかならない。

だけど、「こうやったら失敗した」っていうのは、そこを選んじゃダメっていうことがはっきりわかるんだ。

「これをやったら必ず成功する」というものはよくわからないけど、「これができないヤツは成功しない」っていうことはかなりはっきりわかると思うんだ。

「これをやったら必ずうまくいく」っていうのがわからないのは、おそらくどこでもほとんどそんなものですよ。

だとしたら、「誰かが成功したやり方」が自分に当てはまるかどうかを試していくより、「必ず上手くいくわけではないけど、少なくともこれを選んじゃダメ」っていうのを一つずつ潰していく方が、考え方としてマトモだと思いませんか。

だって、「誰かが成功したやり方」といっても、自分ではないわけで、自分との差異があるじゃない。

先ほど言った、そのズレを如何にして埋めるかという、如何にして自分を押し殺すか、みたいな不毛なことを考えなきゃいけないわけでしょ。

で、おまけに受験前の4年生って、何が一番怖いかっていうと、「大学編入を9個受けても受からない」ということが一番怖くて気になるのであって、「自分が東大に行けるかどうか」が気になるやつって、本当に1人か2人しかいないと思うんですよ。

だとしたら、話題としても、聞き手の興味は圧倒的に白石の話の方が面白味が大きくなるはずだ。

だから、特に受験に関しては、あんな「常にトップで上手くいきました」みたいな人間の自慢話をされるより、「失敗しちゃった☆てへぺろ」っていう話の方がいいと思うんだよね。

なにより、人間は人の失敗談というものを聞くのは、基本的に好きな生き物だし、失敗談だと別に落ちがなくたって結構面白く感じてしまう。

それを嫌がるとしたら、それは話し手が、言ってしまえば嫌な思い出を話さなきゃいけなくなるから、そういうことをしないのかもしれないけど。

でも、結果としてどこかに受かってから話すのであれば、それほど嫌な話でもないと思うんだけどな。

まさに真っ只中のときはしんどいと思うんだけど、どこか行き先が決まってしまえば、それはそれでいい経験になっているだけだと思う。

なにより、そういう「でっかい失敗談」を人前で話してしまうことで、それは自分にとって話のネタになるし、聞いている4年生からしてみれば、「面白い人がいた」っていうように評価が上がると思うんだよね。

というわけで、本来俺は今、しんどい時期のはずなんだけど、なんかそんなにしんどくない。

こんなことを考えてニヤっとするくらい、なんかしんどくない。

俺たちの社会、これは俺から見えている社会なのだけれど、これはかなり不思議なものです。

4月になって、俺が新アニメに一喜一憂している間にもいろいろなツイートが流れてくる。

ついこの前まで「大学落ちた奴」と「大学受かった奴」の話で大盛り上がりだったはずなのに、いざ入学式を迎えたら「大学生になるとこんなダメ人間になる、お前ら気をつけろ」という話であふれている。

そこらじゅうで「就職率が……」と騒ぎ立てておきながら、入社式を終えると「ようこそ社畜の世界へ」と言われる。

たぶん、大学に受かったやつは、受かったときに自分が思っていたほど幸福なことでもなく、大学に落ちたやつは、落ちたときに感じた絶望感ほど、不幸なことでもない。

人はおおむね自分で思うほどには幸福でも不幸でもないんです。