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岡田斗司夫氏、「東のエデン」を見て疑問を抱く「『エデン』と『まどマギ』、どっちも登場人物の描写が薄く感じるのはなぜ?

アニメ

みなさんさようなら,今日も生きてました.

鋼の錬金術師は,一番最初にbonesがアニメ化したやつをすべて見ました.

原作は読んでないですが,2回目のアニメ化,同じくbonesでしたがFulmetal Alchemistは見てないんですね.

そんな中,「でもミロスは気になる」という状態だったのですが,なにしろFA見てないんで,「先にFA見た方がいいのか?あれ何話あるんだよ……めんどくさい」という不安にさいなまれていました.

でも,どうやらFA見てなくても話は分かるらしいので,ミロスをそろそろ見ようと思います.

さて,

相変わらず俺はまとめサイトというのがあまり好きではないので,2ちゃんねる本体の方のアドレスを張ります.

http://anago.2ch.net/test/read.cgi/moeplus/1329561613/l50

これ,昨日のネタにしようと思ったのだけれどww

twitterネタなので,岡田斗司夫をフォローしている俺はちゃんとRTまでしてました.

後から,まとめサイトに乗ったこととか,スレが立っていたことを知った.

こういう生きてるスレとまとめサイトを見比べていると,まとめている人の方針とかが見える気がする.

http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-7451.html

まぁスレを読んでいると後半は書き込んでる人同士のけなしあいになっていてあまり面白くはないんだけれど.

岡田斗司夫

テレビ版の最終回は「え?これで終わり?」と思った。滝沢が記憶消した動機が納得できない。

セリフでは説明あるんだけど、共感できないから「トラウマっぽい説明されてごまかされた感じ」がする。今度、劇場版見るけどw

ネタバレかもしれないが,劇場版の最後を見ても「え?これで終わり?」なところは変わらない.

それと,滝沢の記憶消失については,劇場版Ⅰの冒頭ではまったく触れずに,いきなりかなり時間経過した後を描き出すので,「共感できないところ」は共感できないまま進む.

だから,「ごまかされた感じ」も最後まで続く.

スレには載っていないが

岡田斗司夫

エデンの、他のプレイヤー(救世主ゲーム参加者)たちのやりたいこと(動機)も、「複雑だけど浅い」と思っちゃう。「複雑さ」と「浅さ」って並立できるんだよね。話数も少ないのに、競合させたから余計にワケわかんなくなってる #frex

とも言っている.

岡田斗司夫

東のエデン」を見た3.

「エデン」と「まどマギ」、どっちも登場人物の描写が薄く感じるのはなぜ?もちろん「六神合体ゴッドマーズ」に比べたら、遙かに遙かにマシなんだけど。

「キャラクターじゃなくてキャラ、という薄さ」を感じちゃう。「普遍性」を犠牲にして「イマドキ性」を優先描写したからかな?

(続き)

それって北斗の拳に憧れる気持ちと似てる。「オレだってケンシロウみたいに強ければ、悪を許さないのに!」って、それはダメでしょ?

「強いから悪を許さない」というのは、単に「弱い者イジメ」。自分が強くても弱くても戦うのが「正義の味方」じゃないの?

(さらに続き)

だから「100億あったら、万能秘書がいてくれたら」というのは、的外れ。だから「東のエデン」のテーマ性は僕には薄く感じる。

別に「選ばれた者」じゃなくても救世主にはなれる。だからスタッフに説教。そこんとこ、逃げるとビルドゥングスロマンたり得ないよ~

キャラの薄さはおいておいて,テーマの薄さについてはおおむね同意できる.

東のエデンでは,「100億とジュイスを与えられる人」の条件は,それまで何をしてきたか,とか思想に大きく左右されている.

だから,今までも救世主として生きていこうとした人が選ばれているので,設定としては,「選ばれたものが救世主になれる」というより「救世主にはだれだってなれる,今回はその手っ取り早い現実的な手助け」に近いことはわかる.

でも,だとするなら,東のエデンではゲームのプレイヤーの他に,救世主となろうとして,でも100億をもらえなかった人の存在がまったく感じられないところが,どうも納得できない.

そこがないから,どうしても「選ばれたものが救世主になる話」に見えてしまう.

どちらかというと,神山監督が描く救世主というのは選ばれた人間が多い.

攻殻機動隊 S.A.C Solid State Societyにしても,正義感を持って自分や他人を犠牲にして救世主になろうとしていたのは,官僚という立場に選ばれた人間だったし.

同じく 2nd GIGにしても,英雄を演じるのは難民に選ばれた一人の人間.

ちなみに,わがままな正義感によって他人の犠牲を問わない救世主たろうとする人間,というのはエデンにおいてもかなり描かれている部分は多い.

多分,こういう描き方が,「救世主になるのは選ばれた人間だけ」という受け取り方をしてしまう.

だから,現代的な問題を浮き彫りにしている部分についてはものすごくほめたい作品なんだけど,救世主として世界を救う作品としては,全然物足りない.

娯楽作品だからといってくくってしまうとこういう話にはならないんだけれど,テーマ性とかメッセージ性とか,そういう作家性を考えると,どうしても「俺には100億もないし,玉川紗己子の声した万能秘書もいないし」と思えてしまう.

唯一そう感じさせないのは,新聞配達のシーンや,ゲーム主催者と話すシーンくらいなもので,ゲームを描いているシーンで垣間見えるメッセージ性はもっと直接的なものでしかないように思う.

キャラクターの普遍性とイマドキ性について.

「キャラという薄さ」について,意図を汲んだ理解とは言えないかもしれないけど,東浩紀の「動物化するポストモダン」で語られている,データベース消費型の社会のおかげなのかと思った.

スレで言っている人がいるんだけど,12話や13話が一般的といえる今の放映枠では描ききれないというは,根本的に間違っている.

だとするなら,話の長さに対して出しているキャラクターの数が多すぎるんだ.

物語を上手く見せるために必要なキャラクターの数を明らかに超えて,それについて個々に説明してほしいんじゃない.

そういう,物語の時間的な話ではないと思う.

トップをねらえ,というアニメがあって,(これにはトップ2というのもあるけど),あれはOVA6話でいずれも話が完結している.

だけど,あれで出てくるキャラクターに薄さは感じない.少なくとも,俺は全く感じない.

岡田斗司夫

キャラクターは「普遍性」と「イマドキ性」のバランス上に存在すると思うよ。「いつの時代だって、女の子はこうでしょ?」と「いやいや、最近の女の子はこうですよ」のバランス

RT以下は省略しました,だれかのIDが出ているので.

この話の通り,どちらかといとキャラクターの設定とか描き方の問題であって,それが時間的な制約で見せきれないというのではない.

もし,本当に時間的な制約だとするなら,そんなにいっぱいキャラクターを出すべきではないんだ.

そんなに一つの話の中にたくさんの「イマドキ性」は必要ないんだよ.

ただし,

スレから:

そういう「濃い」のはもう受けない時代だって気づけよ

というのは,もしかしたらあるのかもしれない.

俺もそういう「濃い」のが好きなんだけれど,そういうのが受けない時代なのかもしれない.

ただ,神山健治という監督が今までかかわってきた作品とか,描き方とかを見る限りは,…多分スタッフは「濃い」のが好きなんだと思う.

そしてそれを見ている俺たちも「濃い」のが好きなんだよ.

だから,時代のせいにしちゃいけないと思うんですよね.

だって東のエデン,そんなに受けてないし,時代の受けを狙って作ってるわけではないと思うんだよね.

ツイートとこのスレを読んで東のエデンを思い出してみると,俺は少女漫画的な部分が救世主の邪魔をするんだと思う.

東のエデンというのは,救世主を描こうとしている.

だけど,同時に少女漫画的な,王子様を描こうとしている.

これは,羽海野チカがキャラクター原案をやっているあたり,かなり表面的に見えることだけど.

おそらく,特別な「王子様」を描かなければいけないので,王子様である救世主は特別な存在じゃなければいけないんだ.

だから,「100億持っている」とか「便利な秘書がいる」とかいう設定になってしまっているし,それを駆使して救世主になろうとしている.

いずれも特別である必要はないんだけれど,両立させるためのイマドキ性として,こういう特別な設定を入れ込んでいるから,救世主の部分がおかしく見えてしまう.

で,これは特に個人的な感想だけど,東のエデンのTV版って前半全然面白くないんですよ.

王子様と出会ったり,王子様が不思議な存在だったり,王子様が特別だったり,そういう部分の設定をみせている部分が全然面白くない.

いわば少女漫画的なものの描き方が面白くない.

それは,最終的にはこんなきっちりした話題を題材にしているんだから当然なんだけど,そういう部分を,まるっと排除して描いていたら,東のエデンはもっと面白かったと思うんだよね.