コクリコ坂から

こうして黙っている間にどんどんほかの人がいろいろ言ってしまうので,そろそろ書こうと思い立ちました.

コクリコ坂から

映画と原画展,もう行ったり来たりの感想を書きますw

今回,PVはかなり初期のものを一個しかみていません.

最近宣伝を見ないで行く,というのが多くなっています.

そしてコクリコ坂についても上映館情報以外何も調べずに行きました.

普通のアニメ映画だったら設定とか物語の方向性とか絵とか,そういう好みをかなり確認してから行くんだけど,ジブリについては逆の方がいい.

まだ見てない人のために,ネタバレは後半にしましょう.

見始めればすぐわかる空気だと思いますが,時代設定が昭和です.

ドラマの見せ方というのは,まぁ割かし上手くなったでしょう.

ただ,ジブリ作品というのは恐ろしい先人がいたもので.

もともと儲けに見合わない仕事をするところですから.

なんか一本抜き出てしまって,本気の芸術っぽいものを作っていたところですから.

そういうのを味わってしまうと,これは「それなりのアニメ」で「それなりの儲け」を出すアニメなんだということがわかります.

いうなれば一風堂の美味いとんこつラーメンである.

800円未満で食べる食事としてはかなり美味いが,やはりラーメンである.

そこにはカウンターに座って目の前で握ってくれる寿司とか,目の前であげてくれるてんぷらとは,値段的にも大きく差がある.

(ごめん,ちょうどいいのが和食しか思いつかなかった)

が,ラーメンという食べ物の中ではかなり上位にくる美味さである.

そこへいくと,千と千尋もののけ姫のような,2000年代の境目あたりで生み出された宮崎作品は,そいういう,値段的にも大きな差が発生してしまうが,ずば抜けて美味い.

だから普通に見ていく分には面白いアニメに仕上がっているんです.

いや,よくゲドからここまで立ち直って,一本映画にしたと思う.

ここまで,普通に見ていられるアニメに仕上げたと思う.

おそらく,むかしのディズニーのように,この時代にアニメを見ていた人には大きな影響を与えるんだけど,次の時代に入ったジブリを見ている人は「この会社そんなにすごかったの?」という状態になるのではないか.

やっぱり,今俺がディズニーのアニメを見ても,「うーん・・・日本アニメ初期時代の人たちはなぜこれにそんなに感激したんだろう」と思うもん.

それでも失敗しているわけではないからね.

日本のアニメはもともと,本気の素人がすごい気がして,なかなかプロがすごいものという印象を受けないから.

また,岡田斗司夫はコクリコについて「作家性をまったくみせない」といっている.

これはジブリにもともとあったようなメッセージ性を,まったく出していないということだ.

まさしくこれはその通り.

いや,俺としてはそこはあまり嬉しくない.

時代的な流行りとして,現在のテレビアニメは本当に「作家性をみせない」ものが多くなっている.

日常系とよばれるような,ほんわかした日常を切り抜いていくだけのアニメが,近年非常に多い.

もしかしたら,「それなりに稼げるアニメ」としてはいい手なのかもしれない.

だけど,ジブリがこういうものに感化されていく,というか,スタジオジブリという会社から宮崎駿の匂いが抜けていくのがなんか気に食わない.

さて,ネタバレしていこう.

昭和設定なんだが,時代的におかしいところがある.

そもそも原画展にいくとわかるのだが,宮崎悟朗の描いているスケッチは,少し近代的だ.

たとえば道と家を隔てるもの.

この時代にコンクリートの壁とかはなかなかない.

あったとしても木造だったり,垣根だ.

全体的な街並みの描き方,舞台となる家屋の描き方.

そういうのが,映画本編の間までにかなり修正されているのがよくわかる.

実際のところ,この世代より吾朗は少し若いはず.

だからなかなか描きにくいモノがあるのだと思う.

広告で出ている,少女が空を見上げているカットはもともと宮崎駿が描いたカットである.

物語全体を見てみると,なんか消化不良なのは,宮崎駿が描いたカットに見える神秘的な(ということにしとけ!)少女の印象があまり感じられないから.

近藤勝也という方がキャラクターデザインを担当しているが,この人の絵がかなり多く展示していあるところを見ても,絵的な面ではかなりの協力を得ていると思われる.

かなりこれでよくなった感はある.

原画展というわりに背景美術関連が非常に多かった.

そういう趣旨なのだろうか?

背景に関しては,やはりこれもまずまずというところだ.

ぽにょに関しては動きがやはりやたらすごかった.

手描きに徹していてあれだけ描くという,アニメーション的な素晴らしさが詰まっている.

見ればわかるが,非常に背景動画が多い.

そして,もののけ姫千と千尋,では美術的なこだわり方が半端ない.

アレに関して何かしらの本を買ったくらい,やばいこだわりがある.

特にあの時代,ジブリはCGというものに手を出し始めたのだが,手を出し始めから本気すぎて,わからないシーンが非常に多い.

結果,もうこれ以上やることがないレベルまで達してしまった.

というような,そういう,アニメーターから絞り出されるなんか変な汁みたいなものが積み重なったような印象はあまり受けなかった.

冒頭でも言った通り,そういう賃金に見合わない労力を出す,プロの素人のような感じはあまりなかった.

学生運動に近い話がメインで出てくるのだが,ここに関しては一点納得する点があった.

原画展の最後に吾朗のインタビュー記事が載っていた.

ここに,かつて宮崎駿や鈴木がコクリコのアニメ化について話し合っていたときに,押井守もいた,という記述がった.

これについては納得.

むしろ押井守は,おそらく見てくれているだろうが,どんな感想を持ったか気になる.

ストーリーとしては,メッセージ性がない,という以上の印象は得ない.

いや,そこそこに面白いのだ.

話の流れは面白い.

ただ,双方とも父親がいないという設定や,父に向けてあげる旗.

父の写真を眺めたり,主人公が父の話をするあたり.

そこかしこに見える,「帰らぬ父」に対する子どもの表情などは,「これは吾朗の主観がかなり入っているのかな」とうかがえる.

そこには「家庭に帰らず,父らしいことを何一つせず,ひたすらアニメの中で少女を描き続け,このまま死ぬまで映画を作るしかない」というどっかの父に対する思いが重なる.

それ以外でいうと,こういう恋愛っぽい話はジブリとしては,あまり見たことがない.

いや,最近はそうでもないのかもしれないが,やはり日常系というべきアニメにふさわしい流れを感じる.

少女漫画にしては重いという話もあったが,これはどの程度原作からかけ離れているのだろうか.

流石にそのままアニメ化したわけではあるまい.

最後に声優に関して.

それほど違和感はないのだが,やはり微妙な気持ちではある.

というのも,これはジブリの,鈴木敏夫という人間の戦略なのだが,どうしても声優を使わない.

本職の声優を使うことで生きる場面も非常に多いと思う.

もちろん,ジブリの戦略という意味では成功なのだが(これはプロデューサー側として),見る側としてはなんかいたたまれなかったりするのである.

今のジブリは,全体的に女優や,俳優を使う.

こういう人を使うことにはそれほど文句はないが,使いどころに文句がある.

やはり,主役級は声優の方が,周りが映えると思うんだよね.

簡単にいえば,素人くささを主人公で出されると,見る気がしないのである.

とりあえず言いたいことは吐き出した.

満足した.